思想の中核と辺縁 ― 共産主義と資本主義

日本語の"共産主義"という言葉はドイツ語の"Kommunism"を訳したものだが、共産主義そのものはもっと古くからある。有名どころとしては、プラトンが実際にシチリア島で実験的に共産主義社会を作ったこともある。キリスト教の新約聖書も金銭交換と個人所得の廃止を説いていたのだから、一種の共産主義思想で、トルストイはキリスト教共産主義の実践を目指していた。

共産主義と唯物論は可分だ。プラトンのイデア論はどちらかといえば非唯物論、キリスト教はどちらかといえば唯物論だから、マルクスの共産主義はキリスト教の方に近い。先の大戦中のドイツや日本の国家社会主義も共産主義の一種で、やはりキリスト教の方に近い。

思想として始まっている、というところが、共産主義諸思想の共通点だ。共産主義は理念先行の考えかただ。

オランダで16世紀頃、事業の遂行者と事業の所有者が分離されたことが、一般に、資本主義の始まりだとされる。

共産主義初期にプラトン、キリスト、トルストイなどの思想の大家が並んでいるのに対し、資本主義初期にはそういう大家がいない。アダム·スミスすら、他国の船の入港制限を唱え、労働価値説の基礎を築いてマルクスにも支持されているのだから、思想としての資本主義の創始者とはいいがたい。

資本主義は思想として始まったのではないため、経験先行の考えかたとなっている。

理念が先行する組織では、理念の現実のギャップを埋めるため、強制的な手段に頼りがちになる。ローマ教皇に異端審問官が必要だったように、レーニンには秘密警察、戦中日本の天皇には特別高等警察が必要だった。

一方、もともとの資本主義にはそのような理念強制機構は存在しない。

自由放任な資本主義は実のところ、短命だった。1929年に自由放任な資本主義は終わった。アメリカでもフランクリン·D·ルーズベルトが全金融機関の国営化という共産主義手法で危機に対処した。自由奔放な資本主義の再提起者として知られているフリードマンすら、"我々は全てケインズ主義者である"といって、ルーズベルトを支えたケインズを讃えている。

1991年にソビエト連邦は崩壊し、冷戦は終わった。資本主義は年金や社会福祉など、共産主義の一部を経験的に取り込み、対立を生き延びた。

資本主義が生き延びた理由は、思想としての資本主義が思想としての共産主義に優れたためではない。重要なのは中核ではなく辺縁であり、理念ではなく経験なのだ。
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# by MYP2004 | 2006-03-19 08:44 | 経済の視点から

盧溝橋で考えた「近代日本の悲劇」

 「城門を出たところにあって、欄干に獅子の像がずっと並んでいる石橋なんだ」。子どもの頃から、繰り返し父親から聞かされてきた盧溝橋は、北京市中心街から車で40分ほどのところにありました。平日の朝ということもあり、人影もまばら。足下から寒さが伝わってきます。橋だから河に架かっているはずですが、ほとんど水はありません(笑)。

 マルコポーロが感嘆したという盧溝橋。父親が言っていた通り、欄干には小さな獅子の像がずっと並んでいます。一つひとつ顔も表情も違うんですよ。それがとても可愛くてユーモラスなので、歩きながら笑っている私たちを、通りすぎる中国の人たちが不思議そうに振り返って見ます。事件から70年目の盧溝橋は、悠然としたたたずまいを見せていました。
 
 北京の歴史的建造物は今、オリンピックに備えて復元の真っ最中。盧溝橋付近も「旅遊区」として再生中です。城門の手前はかなり復元されていて、清朝時代にタイムスリップしたような不思議な気持ちになりました。

 それにしても、日本の自然とはずいぶん違う、茶色っぽい広陵とした風景。中国の大地はどこまでも続いています。徴兵され、海を越えてここまで来た日本軍の兵士たちは、どういう気持ちでこの風景を眺めたのでしょうか。緑したたる故郷の山河を、さぞ恋しく思ったことでしょう。

 国家が戦争を行なうということは、何と野蛮で無惨なことか。それにしても、この広大な中国大陸を支配しようとしたなんて、愚かにも程があります。まさに狂気の沙汰。あの頃の日本は狂っていたんですね。

 さて、近くには中国人民抗日戦争記念館があります。入り口には人民軍の兵士らしき人が立っていて、ちょっと緊張。ちなみに、兵士はどこでも直立不動です。三時間で交代するそうですが、それにしても大変そうです。ガイドさんが言うには地方の若者たちで、最近は成り手が減っているとか。

 その抗日戦争資料館。子どもたちが社会科見学などで訪れるところで、いわゆる反日教育のメッカの一つのように言われています。しかし、見てみた感じでは淡々とした展示です。娘たちは「広島の原爆資料館みたい」と言っていました。
 
 しかも、最後は国交正常化以後の交流について展示されていて、未来志向で締めくくっています。日本人以外の外国人が見ても、違和感がないのではないかと思います。日本人の私たちにもあまり違和感がありませんでした。

 平日の朝ですから、館内には中国の人はちらほらいるだけ。あとは私たちが出て行く時に、卒業旅行らしき日本の若者グループが来たぐらい。しかも彼ら、何としても学生料金で入ろうと、日本の免許証を出したりしていたけど、大丈夫だったのかしら(笑)。

 盧溝橋と抗日戦争記念館は、北京に来た日本人にはぜひ行ってもらいたい場所です。ここに来て、侵略に走った日本近代の悲劇について、思いをめぐらせてもらいたいと思います。日本の軍国主義は、言葉では言い表せない程の惨禍をアジア諸国にもたらしました。しかしそれは、日本にとってもまた大きな悲劇だったと思うのです。

 さらなる悲劇は、今もってその事実を直視しない日本人がいることです。黒船の来襲によって開国を強要された極東の島国が、国民国家形成の過程でなぜアジア侵略に走ったのか。どこをどう間違えたのか。これを冷静に検証することは、何よりも日本人自身のために、避けて通ることのできない作業ではないでしょうか。

 なぜならアジア太平洋戦争は、出征兵士を始めとする多くの日本人に塗炭の苦しみを味あわせたのであり、この総括なくして、虚しく命を散らした犠牲者の霊は浮かばれないからです。「国の為に命を捧げた人のために祈る」という靖国神社参拝の理屈は、大いなる欺瞞です。by G2

☆ 盧溝橋事件 
 中国では七七事変と呼ばれる。1937年(昭和12年)7月7日に、北京郊外の盧溝橋で起きた発砲事件。日中全面戦争の発端となった。
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# by MYP2004 | 2006-03-16 12:20 | リビングから見た社会

なぜ、中国は靖国参拝に反対するのか

なぜ、中国は靖国参拝に反対するのか

これは、日中国交回復の時までさかのぼる必要があると思う。

国交回復を結実させる為に、越えなければならない最も大きなハードルは、戦争責任と賠償の問題だった。

中国側にとって、日本から賠償を取り、国の再建にあてれば良いという思いがあっただろう。
しかし、周恩来ら、当時の中国首脳の多くは、別な考え方をもっていた。
それは、彼らの多くがヨーロッパ在住の経験を持っていたことに起因する。
第1次世界大戦でドイツは敗北、多額の賠償金を背負わされた。
賠償金支払いのためにドイツは疲弊し、怨嗟の声がドイツ中に満ち満ちていた。
その声を拾い上げ、われらがゲルマン民族は偉大だ、と叫んだのが、ナチスだ。
その結果、どうなったか。それは、いわずもがな、だろう。
結局、恨みに報復したところで何の解決にもならない。
周恩来たちの間に、そんな意識があったのではないだろうか。

国内には日本からの賠償を待ち望む声。
しかし、日中国交回復は、なんとしてもやり遂げなければならない。

この矛盾を解決するために、彼らは「戦争を指導した日本政府」と「犠牲になった国民」を分離した。
悪いのは戦争を指導した一部軍国主義者だ。国民はその犠牲になった。
その意味から、我々中国人民と日本の国民は等しく同じ辛苦を受けたのだ。
そうして、自国内の日本からの戦後賠償を求める声を封じて賠償を放棄、日中の国交回復を実現させた。

日中国交回復は、一面では、こういう中国側の努力によって成されたと言えるだろう。
責任をいわゆるA級戦犯に押し付ける格好で、「政治的決着」を図った。
そして、日本からは、そうした中国側の配慮に応える形で、対中ODAや円借款などを決定した。
少なくとも、国交回復当初では、そうしたお互いの状況への思いやりがあった。

だからこそ、中国側にとっては、A級戦犯を合祀している靖国神社に日本の首相が参拝をすることは、こうした努力を踏みにじるものに映る。
歴史を重んじる国民性を持つ中国にとって、到底許容できるものではない。

靖国問題に対する、中国の過敏なまでの反応の背景には、こうした意識が働いていると思う。

by兵士シュベイク
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# by MYP2004 | 2006-03-12 03:12 | サラリーマンのひとりごと

思想の中核と辺縁 ― 前置き

4世紀末頃から14世紀末頃までの約1000年が、ヨーロッパにおける中世だ。この頃、ヨーロッパは比較的貧しかった。

11世紀のイスラム圏では医学も進歩していて、外科手術も行なわれ、精神病院さえあった。イヴン·シーナーの医学書は、後のヨーロッパで17世紀まで大学で使われていた。

制度としての社会福祉が誕生したのも、バグダッドにおいてのことだ。

当時のヨーロッパで、最も多くの蔵書を保有していたのは修道院で、1つの修道院に5冊くらい本があった。一方、イスラム圏の大都市バグダッドでは数千冊の本を売る書店がいくつもあった。イスラム圏では古代ギリシア人の著作物が大量に流通していた。多神教的な古代ギリシアとイスラム文明はもちろん、相容れないはずだったが、当時のイスラム圏で世俗と宗教はかなり分立していたことになる。現実をさほど強引に理念に合わせようとはしなかったのだ。

西ヨーロッパの近代化に大きく貢献した人物の1人に、マルティン·ルターがいる。彼はカトリックに挑戦し、プロテスタント教会諸派の源流を作った。これにより、カトリックは相対化され、政治は教会と距離を置くようになり、理念的だった西ヨーロッパは経験的になった。イスラム圏が持っていた大量の書物がアラビア語からヨーロッパ諸語に翻訳され、ルネサンスの肥やしとなった。そしてヨーロッパとイスラム圏の実力はやがて逆転した。

社会において思想を実践しようとするときに、色々なことがうまくいかなくなる。思想と社会の現実はどこかで矛盾する。そこで理念的に ― 時に暴力などの強制手段を用いて ― 物事を思想に合わせようとするのか、それとも、経験的に妥協点を探るのか、そのあたりが社会における思想の最大の問題だ。社会思想に関する主要な問題は、思想の中核にではなく、辺縁にあるのである。

by Leoneed, also known as Lexar
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# by MYP2004 | 2006-03-07 15:50 | 経済の視点から

「オリバー・ツイスト」「アサルト13」「クラッシュ」・・・善と悪はつながっている

「オリバー・ツイスト」「アサルト13 要塞警察」「クラッシュ」と三本立て続けに映画を観て、善と悪の複雑な関係について、色々と考えさせられました。

「オリバー・ツイスト」は、言わずと知れたチャールズ・ディケンズの名作。ディケンズは、あの「クリスマス・キャロル」の作者です。この話は、今までに何度も映画化されていて、ミュージカルにもなっていますね。

19世紀の階級社会イギリスで、孤児のオリバーが貧困と差別に苦しめられながらも、幸せを手にしていく話です。「何と陳腐な」と思うかもしれませんが、これが驚くほど今日的。ラストシーンでは、あちこちからすすり泣きが漏れるほどでした。

なぜ泣けるかというと、孤児たちを使って荒稼ぎをしていた泥棒であり、悪党のフェイギンが処刑されていく姿に、悪の複雑さと奥行きが感じられるからなのです。フェイギンは悪党ではありますが、孤児たちを養う優しさも持っていました。生まれや育ちが違っていたら、フェイギンはこういう人間になっただろか。

悪に染まるしかなかった運命の過酷さに、私は思いを致さざるを得ませんでした。悪を生み出すものは何なのか、悪そのもののような人間が時に見せる善人の顔と人情を、どう解釈したらいいのか。人生について考えさせられるラストです。

「アサルト13 要塞警察」はリメイク。容疑者4人を護送中の車が吹雪で行く手を阻まれ、近くにあった13分署で一夜を明かす事になります。そこは、かつて判断ミスから部下を死なせたトラウマに苦しむ巡査部長以下、数人がいるだけの小さな分署。そこに謎の武装集団が襲いかかってきます。

武装集団の目的は、容疑者の一人を口封じのために殺すことでした。外部との接触を断たれ、吹雪の中で孤立した13分署。とても対抗できないと悟った巡査部長は、容疑者を一時的に解放して武器を持たせ、共に武装集団と戦うという危険な賭けに出ます。

警察官と容疑者たちの疑心暗鬼、そして対話。内にも外にも敵を抱え、トラウマと戦いながら奮闘する巡査部長の前に、やがて本当の悪人・・・黒幕が姿を現します。派手な銃撃アクションですが、それだけでは終わらない苦い後味が残ります。正義を掲げる組織はなぜ腐敗するのか。正義という大義名分は実に危ういんですね。

「クラッシュ」は、もうすぐ発表されるアカデミー賞6部門にノミネートされている群像劇。「ミリオンダラー・ベイビー」の脚本を書いたポール・ハギスの初監督作品と聞いて、一も二もなく観に行きました。

舞台は、白人と非白人の比率が逆転しつつあるロスアンゼルス。非白人に対する優遇政策で、より複雑になった民族間の摩擦と緊張感は、息苦しいばかり。「強者」と「弱者」が複雑に入り交じり、本音と建前が使い分けられる現実がそこにはあります。

その中で、人種差別主義者の警官が寝ずに父の介護をし、正義感溢れる若い警官がアフリカ系の若者を殺してしまう。何と皮肉なことでしょう。面白い映画は決まって、悪の描き方が優れています。

善と悪は複雑に絡み合い、しかも突き詰めると繋がっている。どちらも絶対ではなくて、関係の中で様々な現れ方をするわけです。そんな現実をかいま見せてくれる映画でした。現実を善悪二元論で見る単純さを思わずにはいられません。 by G2
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# by MYP2004 | 2006-03-01 21:58 | リビングから見た社会

戦前への回帰? 「功名が辻」のワンシーン

先日、たまたまテレビをつけたら、
NHK大河ドラマ「功名が辻」が放送されていました。

その日の筋書きは、こうです。
題して「妻の覚悟」。
山内一豊が出征している時に、ある家来の妻が亡くなる。
しかし、その妻は夫が戦う気持ちを乱さないため、自分の死を隠すように頼む。
山内と家来は帰国した時、はじめて家来の妻の死を知る。
その姿を見て、山内の妻・千代は武人の妻のあるべき姿を見る。
そんな内容でした。

最後のシーンは、
またも出征する夫たちに、
「必ず生きて帰ってきてください」と笑顔で見送る女たちと子どもたち
というものでした。

私、思わず、「デジャビュ!」と叫んでしまいました。

「この光景、何かで見たことある!」

そう、戦時中の光景です。
戦場にいく男と、それを見送る銃後の女。
その光景そのものですよ。

「功名が辻」が描く世界は、戦前の姿そのものじゃあないか。

by兵士シュベイク
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# by MYP2004 | 2006-02-23 23:10 | サラリーマンのひとりごと

お金 ― III タックスヘイブンと平和

世界にはタックスヘイヴンと呼ばれる地域があり、タックスヘイヴンでは極度に法人事業税率、投資利益税率が低いかあるいはゼロである。

世界の金融資産の60%以上がタックスヘイヴンにある、と副島隆彦は批判的に指摘している。

私はむしろ肯定的にタックスヘイヴンを考えてみる。

主なタックスヘイヴンはカリブ海、イギリスの西、ヨーロッパ内陸部に位置している。かつてカリブ海にはキューバ危機、イギリスとアイルランドの間には紛争、ヨーロッパ内陸部には数え切れないほどの戦争と紛争があった。

お金が集中する地域では、戦争がほとんど起こらない。誰でも戦争で資産が焼かれると困るからだ。タックスヘイヴンは戦火を消す濁り水といえる。

実は日本も長らく部分的にタックスヘイヴンだった。かつて、日本では株の売買で得た利益に課税されていなかった。そのため、世界中から日本に資金が流れ込み、平和憲法と組み合わさった効果で、日本の経済成長が維持されると同時に、平和が守られた。代わりに、当時は個人所得税が今より高めだった。

武力だけで平和を維持しようとするのは愚策である。アメリカも首都防衛にタックスヘイヴンを役立てている。

日本は憲法第9条を弄繰り回そうとする前に、株取引への課税を止めたり、その他の方策を駆使して、世界からお金を呼び込む努力をするべきなのだ。

by Leoneed, also known as Lexar
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# by MYP2004 | 2006-02-19 14:32 | 経済の視点から

複雑な心境の神戸空港開港

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神戸空港開港!
さて、このブログでも折につけ神戸空港の話題を出していますので、今日、2月16日、開港の日にこれを書かないてはないということで・・書かせていただきますね。
神戸空港の1番機は元気良く、雨模様の空の中へ突っ込んでいきました。
1番機の乗客は雨の神戸を眺めるまもなく・・雲の中へ・・
さて・・その1番機、実は昨夜には空港に到着して、整備の上、今朝の出発をするはずでした。
しかし天候不良・・
冬の神戸には六甲おろしが吹き荒れます。
昨夜は風はそれほどではなかったものの、雨と霧の強烈な天候不良の結果、ボーイング777は昨夜のうちに神戸空港に着陸することができず、関西空港で夜を明かしてから今朝早く神戸にやってきて慌しく準備をしたものでした。
どうも前途多難な幕開けで、これでは先が思いやられます。
神戸市民としてはこの空港には何がなんでも黒字になって安全運行してもらうしかないわけです。
初日にその安全運行に不安が残る出発をする・・これではこの先どうなるの・・?

空港の経営も初日から火の車です。
例えば、個人商店が、運転資金なし、開店のための工事費の借金も返すあてもなし、さらに、営業収入も、最初のもくろみの半分以下しか得られない・・
こうなったら・・どうなるでしょう・・
あまりに無謀なその計画で商店を継続して営業することはできるでしょうか?

神戸空港の収入の最大たるものは航空機の着陸料です。
けれども、航空機を呼びこむために着陸料を当初予定の半額に下げ、やっと集まった航空機は更に着陸料の安い中型機ばかり・・次に重要な収入源である飛行機利用客の駐車場も新幹線から乗客の転移を目指すために航空機利用客は無料!
年間320万人程度の利用は見込めるとは言っても、良く考えれば1日の利用者は一万人以下・・
これでは地方都市の駅並の利用者しかないことになり(因みに市内の舞子駅利用者は二万人です)テナントの経営すら成り立つやらどうやら・・
更に空港建設費は空港島の分譲で賄うことになっていたのですが、販売価格を値下げしても、土地は殆ど売れず、今もって販売できたのは僅か0.2%・・
つまり、この空港は運転資金も、借金の返済も、必要な売上もないという状態で開業してしまったわけです。

少なくとも市民に対し「一切税金の投与はない」と断言する市議会と市長ですが、これで税金投入の必要が出てきたら、どう釈明するのでしょうか?
どう責任を取られるのでしょうか?

神戸市民としてはこの馬鹿げた空港ではあるけれども、出来てしまった以上・・使われ、愛され、儲けてもらわないといけないわけで・・
甚だ複雑な心境ではあります。
byこう@電車おやじ
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# by MYP2004 | 2006-02-16 10:38 | 神戸舞子から世間を見ると

紀子さんと雅子さんとジェンダー

誰もが驚いた三人目の政治的?妊娠で、久し振りに紀子さんが脚光を浴びています。朝日は朝刊の一面に「笑顔やわらか」という言葉を添えて写真を載せていましたが、こうしないと読者のニーズに答えられないんでしょうかね・・・。

それにしても、久々にとっくりと見た紀子さんの表情が、美智子さんにそっくりになっていて驚きました。見事に皇室に適応しましたね。適応できず、そのまんまの適応障害になった雅子さんとは対照的です。

紀子さんは社会に一度も出ることなく、学生のまま結婚して皇室に入りました。男女雇用機会均等法一期生として、総合職女性のシンボル的生き方をしていた雅子さんとの違いはここにあります。20代をどう過ごすかによって、女性が大きく変わるということがよくわかりますね。

古来、女性は環境適応力に優れていると言われてきました。私が学生の頃までは、半ば蔑みのニュアンスを込めて、男達はそう公言していたものです。「だから忍耐強い」とか、「単純労働に向いている」とか。女性自身も、それを美徳のように思っている節がありました。

でも今、雅子さんを見ていてはっきりわかります。社会経験によって培われた強い自我は、性差を緩和させるのです。つまり、男女は共通体験によってかなり近づくということです。性差は無いわけではないけれど、私たちが思い込んでいるほどではないし、増してや脳の構造による絶対的なものでもない。個人差が大きいということです。

ジェンダー・フリーという造語はちょっとイデオロギー的で、セクシュアリティーに対する配慮に欠けていました。その弱点をいま突かれているわけですが、だからといってこれを攻撃して否定するのも、現実から目をそらしているという点では同じでしょう。

性差を異性の前で演出するのは重要なテクニック(笑)。それだけでも、性差が社会的文化的な産物だということがわかります。最近はホモ・セクシュアルや性同一性障害も少しずつ理解されてきて、性差絶対主義は前提が崩れています。

要は性差を大事にして生きたいか、それよりも個人として生きたいかという問題。で、個人として生きたい人を認めるというのが、ジェンダー・フリーの本来の意味なのでしょう。社会学の教科書にも載っている学術用語であるジェンダー問題を追放しようなんて、やはり時代錯誤だと思いますが。 by G2
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# by MYP2004 | 2006-02-11 15:03 | リビングから見た社会

お金 ― II

資本家が労働者を雇い、自動者が生産され、労働者が自動車を買ったとする。お金は、資本家 → 労働者 → 資本家という形で動いたことになる。

このサイクルでは、お金についてはゼロサムだが、労働者の生活は支えられ、自動者が生産されている。

お金は人と人を結びつけ、何かを生産さしめる。生産の積み重ねが、人類の文明だ。

一般論として、お金がうまく流れるほど、生産もうまく行く。

アメリカの共和党の保守層は、所得税フラット17%を主張している。所得の額、個人法人を問わず、税率を17%にせよという主張だ。

これでうまく行くのかどうかといえば、うまく行かない。

絶対の原則は、個人所得税率よりも、法人事業税率を低く設定することだ。高額所得労働者が高い税率にうんざりしなければ、起業への動機が強まらない。起業し、他の労働者の生活を支える役割を果たして行くことを決めた人はそれなりに報われるべきだ。

成功した労働者が実業家になり、他の労働者を支えるように、成功した実業家は投資家になり、他の実業家を支える。そしてここにも税制上の調整が必要で、そのため、投資収益への課税率は、法人事業税率より低く設定されるべきだ。

さて、投資家Aが100万円で株を買い、それを投資家Bに200万円で売ったとしたら、株を発行した企業に何らかの恩恵があるだろうか? 実は、企業が追加出資を受けないかぎり、直接的な恩恵はゼロだ。企業が最初に市場から調達したお金の額は、株価の上昇で増えたりはしない。

多くの投資家は安全な株を好むので、経済がうまくいっていないときに、投資家は新しい企業の新株を引き受けたがらないが、企業が本当に資金を必要とするのはそういうときだ。

新株への投資からの利益に対して、課税率をゼロにすれば、新たに起業し、労働者の生活を背負う起業家にとっては大きな福音となる。

以上をまとめ、現在に日本の税制の欠陥を補完すると、

・個人所得税率 累進最高50%、負の所得税制度つき
・法人事業税率 フラット40%、損失繰越あり
・一般投資税率 フラット20%、損失繰越、損益相殺あり
・新株投資税率 フラット0%

となる。
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# by MYP2004 | 2006-02-09 00:11 | 経済の視点から