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本当の反日は誰か:日本人に対する戦争責任を問う

 私は最近、ある事に気がつきました。中国や韓国を忌み嫌い、「南京虐殺はなかった」「従軍慰安婦」はいなかったと主張し、靖国神社参拝を賛美する方々は、アジア太平洋戦争が日本人にどれほどの苦しみを味あわせたか、知る機会がなかったのではないでしょうか。

 日本でも戦後20年ぐらいは、辛く過酷な戦争体験が日常にあふれていました。両親からもよく聞かされたし、そういう映画もたくさんありました。テレビでも、夜の8時というゴールデンタイムに、「戦友」というドラマをやっていたぐらいです。私のような戦争を知らない子どもには、唖然とするような恐ろしい内容でしたよ。

 言論の自由に対する過酷な弾圧。生徒が教師を密告し、天皇陛下の「て」という言葉が聞こえたとたん、直立不動にならなければいけない社会・・・。息子が戦死しても、「靖国の母」として、人前では泣くことも許されなかったのです。異性と仲良くしても、ジャズを聴いても非国民。もちろん、戦争に反対することは拷問と死を意味しました。

 そして何より凄まじかったのは、軍隊における異常ないじめと虐待。日本軍はサディズムの世界でした。何の理由も意味もなく、上官から毎日殴られ蹴られるところでした。実戦の方がまだマシなぐらいで、いざ戦闘が始まると、敵ではなく上官を撃つ兵士がたくさんいたのです。日本軍兵士がアジア各地で繰り広げた残虐行為は、そういった日頃のうっぷんを晴らすものでもあったわけです。

 「嘘だ〜!」という方は、「真空地帯」や「人間の条件」、「暁に祈る」といった映画を観てみてください。黒澤明の「我が青春に悔いなし」もオススメです(いずれもビデオかDVDあり)。軍国主義から解放された日本人が、どんな思いで戦争を振り返ったか。そこには、元兵士の多くが口を閉ざして語らなかった、日本軍内部の凄まじい実態が描かれていました。

 多くの日本人はようやく知ったのです。「天皇の赤子」「アジアの解放」という美名の下に、何が行なわれていたか。「あんなに辛い思いをしたのに加害者だったなんて・・・・」。この無念さが、日本人の複雑な精神構造を作り上げました。この点は韓国や中国の人には、なかなか理解できないかもしれませんね。

 日本人は戦争責任について考え続ける必要があります。東京裁判は勝者による不公正なものでしたが、だからといって戦争を遂行した指導者たちに責任がないとは言えないでしょう。またそれに協力し、戦争を嫌がる人を迫害した日本人も大勢いました。そして、軍隊内部で思うがままに暴力を振るった鬼のような上官たちも、戦争が終わったら良き父に戻っていったのです。

 あれだけの残虐性はどこから生まれてきたのか。繊細で気配り上手の優しい日本人が、どうして集団で狂ったのか。これは今につながる重要な問いかけです。これらの問題を隠蔽し過去に目を閉ざすことこそ、本当の反日だと私は考えます。そして真の愛国心とは、この問題意識を持ち続けることだと思っています。by G2
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by MYP2004 | 2006-04-28 19:58 | リビングから見た社会

思想の中核と辺縁 ― 先行経験の継承:護憲派の失敗

マーク·ブキャナンの«複雑な世界、単純な法則»には、生物を構成する分子から国家を構成する人間まで、様々なスケールの物事に、かなり共通する法則がある旨が述べられている。結節点と経路を研究する学問として、ネットワーク科学は説得力を増しつつある。

会社に当てはまることは、ある程度、社会運動や国家全体にも当てはまる、という前提で、この話を進めていく。

ソニーのウォークマンはカセットテープを媒体とする携帯型ステレオ再生機として、市場に支持された。また、鋭い高音部を特長とする再生特性は、音楽の作り方そのものにも影響を与えたと思う。

ソニーは媒体の普及に応じて、CDウォークマンやMDウォークマンを出した。ところが、ハードディスクが普及してきたときに、HDウォークマンとなるべき新製品開発を前に足踏みし、アップルのiPodの後塵を拝し、普及したフォーマットMP3ではなく独自フォーマットATRACに拘るなど、迷走を続けた。

ソニーの低迷は、テレビやディスプレイの分野にも見られた。"聖なる機器"トリニトロンに拘るあまり、省スペース液晶テレビに魅了される市場にそっぽを向かれた。

ソニーの失敗は経験の結果を継承しながら、経験そのものを継承しなかったことにある。MDウォークマンやトリニトロンという結果への執着は、それらの製品を開発した経験の継承をむしろ妨げた。

護憲派の失敗とソニーの失敗には似ているところがある。

太平洋戦争終結直後、日本軍は部隊レベルで自主解散した。GHQが1945年9月2日に解散命令を出したときには、日本軍は既に存在しなくなっていた。憲法第9条はこの現実に対する追認だった。日本共産党以外に憲法第9条に反対した政治勢力はなかった。

個人を動員する体制に対し、個人が"否"を突きつけた経験を、大部分の護憲派はうまく継承できていない。

護憲派が今後も政治的な影響力を維持していくには、原点の再確認が必要だと私は思う。護憲派が規範とすべき事例の1つに、べ平連から派生したJATECがある。彼らはアメリカ人脱走兵の亡命を支援した。彼らは憲法第9条についてはあまり語らなかったが、憲法第9条につながる経験の数少ない継承者だった。

日の丸や君が代を嫌う教師が卒業式を妨害するのは、憲法第9条に先行する経験の継承とは少々違う。そういう教師はむしろ、軍隊から去っていった旧日本軍兵士のように、卒業式の場を欠席すべで、生徒についても同様のことがいえるだろう。(経済の現状を考えると、400人に1人くらいが政治的な理由で卒業式への出席を拒否するのが、健全な日本社会の姿だと個人的には思う。)

朝鮮半島や中国では今でも強制徴兵制が行われている。韓国政府はほとんど韓国語を話せない在日朝鮮系の若者をも徴兵したことがあると聞く。この状況に何の異議も唱えずに黙認し、韓国や中国の肩を持ち、日本の自民党を批判するのは、もう止めた方がいい。朝鮮半島人や中国人が徴兵を拒否したら、日本の護憲派は、徴兵を今でも続けているそれらの国々の政府を批判すべきだ。

護憲派は与党内にもいるが、彼らに対してもいいたいことがある。1964年の核実験で中国が核保有国になったあとも、日本は資金や技術の提供という形で、中国への経済援助を続けてきた。これではいくら護憲を謳っても、日本の国民を説得することなど期待できるはずもない。

by Leoneed, also know as Lexar
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by MYP2004 | 2006-04-22 13:47 | 経済の視点から

教育基本法と「サクラ読本」

やはり、「教育基本法」について、触れないわけにはいきませんね。
巷間、いろんな視点で論議されていますが、少し違った角度で考察してみましょうか。

1933年4月、文部省は小学校の国語の教科書を、
それまで使われていたものから新しいものへ変更しました。
いわゆる「サクラ読本」です。
その年に小学校に入学した生徒から、この教科書「サクラ読本」は使われました。

どんな内容だったか?
それ以前の教科書は、冒頭、次のように始まります。

 ハナ ハト マメ マス ミノ カサ カラカサ カラスガヰマス スズメガヰマス

この教科書で授業を受けたある人の証言によると、
授業では、教師が「ハナ」と黒板に書き、生徒の知っている花の名前を言わせた。
そうやって、身近なものから学習を開始したのですね。

それに対し、「サクラ読本」ではどうか。

 サイタ サイタ サクラ ガ サイタ (咲いた、咲いた、桜が咲いた。)
 コイ コイ シロ コイ (来い、来い、シロ[犬の名]来い。)
 ススメ ススメ ヘイタイ ススメ (進め、進め、兵隊進め。)
 オヒサマ アカイ アサヒ ガ アカイ (お日様赤い、朝日が赤い。)
 ヒノマル ノ ハタ バンザイ バンザイ (日の丸の旗、万歳、万歳。)
 トマレ トマレ ナ ノ ハナ ニ (止まれ、止まれ、菜の花に。)
 ハシレ ハシレ シロ カテ アカ カテ (走れ、走れ、白勝て、赤勝て。)
 ココマデ オイデ ゾロゾロ オイデ (ここまでおいで、ぞろぞろおいで。)
 ハト ハト オミヤ ノ ヤネ カラ オリテコイ(鳩、鳩、お宮の屋根から降りて来い。)

一番目の文章から、二番目以降の文章へのつながりが、無い。
「コイ」「ススメ」といった命令文になっている。
しかも、内容が限定され、旧教科書での授業のように、
内容を広げていくことができなくなってしまう。

先にあげた人の証言によると、旧教科書で授業を受けた最後の世代の自分に対し、
「サクラ読本」で授業を受けた一つ年下の世代とでは、明確に違うものがあったそうです。
明らかに、「サクラ読本」世代は、傲然と目上の人たちを見下していたものを感じた。
受けた教育による意識の違いです。

この歴史は、見過ごすことはできないですね。
小さい頃に刷り込まれたものが、どれだけの影響をその人の生涯に与えることになるか。

教育は、とても大切です。
そして、その内容に対して、国が干渉することは、極力避けなければならない。
しかし、最近の教育基本法「改正」の論議を見ていると、
まさに、人々の心の中に国が入り込もうとしていると思えてならないのです。

日本は、今、とても危険な方向に進みつつある。
そう憂慮するのは、果たして私一人だけでしょうか?

by兵士シュベイク
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by MYP2004 | 2006-04-16 01:04 | サラリーマンのひとりごと

「日本も中国も好き」という愛国心

ええとそのぉ、「南京虐殺はなかった」「従軍慰安婦はいなかった」と主張される方々は、自分達は愛国者で、「加害者としての過去を直視しようというヤツは日本嫌い」だと思っているようです。これが議論の大前提になっているんですよね。

で、愛国者は中国や韓国を声高に批判し、日本だけが唯一無二の素晴らしい国であると主張するものだと信じていらっしゃるようです。

でも、それってちょっと違いません? そもそも国とひとくちに言っても、国家体制と国民とは別物。国とは、仲間や家族などの愛する者たちの延長ではありません。この両者を峻別してこそ近代人。

お互いを尊重し合うのも愛国心です。私たちが日本を好きなように、中国の人は中国が好きなのでしょう。それを認め合わないと、健全な愛国心は成立しないと思います。

それに、「日本も好きだけど中国も好き」という愛国心もあります。グローバル時代の愛国心は、こういう開かれたものではないでしょうか。

実例を挙げましょう。私が愛読している二つのブログの書き手です。
一人は武漢大学に留学中の男性。中国に来て、日本人であることを強く意識すると共に、アジア人であるという意識が出てきたと書いています。
「心の中でのアジア人宣言」4月3日のブログです。
http://blog.livedoor.jp/sdi054/

もう一人は上海在住の女性。
中国に骨を埋めるつもりだけど、日本も大好きだそうです。
「上海の魔物 中国との関わり方」3月9日のブログです。
http://blog.livedoor.jp/sdi061/archives/2006-03.html

私も日本が好きですよ。中国の茶色っぽい大陸的風景を見ると、緑したたる日本の山河はいいものだと思います。川もきれいだし。相手に気を遣うし秩序感覚に秀でているし。

北京のマクドナルドで、真面目に並んで中国人に割り込まれ、お人好しでお土産の押し売りに根負けし、タクシー運転手さんの乱暴な運転に脅えている日本人をみると、つくづく島国から来た仲間という感じがしました(笑)

でも、主張がはっきりしていてパワフルな中国の人もまた、面白いなと思うのです。国土が広いとああいう気質になるんですね。ハチャメチャで、何でもアリ(笑)びっくり箱のような国です。上海に行ってきた近所の人が、「中国に行くと子どもに戻れる」と言っていました。

戦前の日本はアジアに出て行くのに、大東亜共栄圏という思想を掲げて失敗しました。戦後は専ら経済的関係に専念してきました。でもそろそろアジアの仲間として、もう一度関係を構築する時に来ていると思うのです。 by G2
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by MYP2004 | 2006-04-08 15:50 | リビングから見た社会

思想の中核と辺縁 ― 憲法第9条

実は、憲法第9条は平和の理念を条文化したものではない。

1945年8月15日の終戦の玉音放送から程なく、日本軍は各部隊レベルで自主解散した。9月2日にGHQが日本軍に解散命令を出したときに、日本軍はもう存在していなかった。憲法第9条ができる以前に、日本は軍隊を持たない国になっていた。

日本国憲法の成立過程で、国会において憲法第9条に反対の意を示したのは日本共産党議員、それもたった1人だけだった。

憲法第9条は軍隊解散の経験への追認だ。

さて、平和運動寄りの人間としては稀なことだが、軍隊のみが国家主権を保証できる、と私は考えている。日本には軍隊がない。軍法会議や軍事裁判所を持たず、条件によっては隊員の脱走を効果的に防げない自衛隊は軍隊とは呼べない。自衛隊が命懸けで戦うことができることを期待できるのは、日本が侵略を受けた場合のみだ。

まとめると、自衛隊の存在は日本の国家主権を主張しているが、保証はしていない。

国家主権を保証できないのは良くない、と考えていた高校生の頃、私は改憲論者だった。

ところが、成長と共にいろいろなものが見えるようになった。

軍隊を持っている国の方が、なぜだか軍事的な理由で死ぬ国民の数が多い。

先進国を考えると、2001年9月11日に、世界最強軍隊を持つアメリカではテロ攻撃で数千人が死んだ。しかし、軍隊を持たない日本ではイスラム教徒のテロ攻撃がまだ起こっていない。

発展途上国が多い中米は長らく戦火が絶えなかったが、1949年以降軍隊を持たないコスタリカは例外的に平和だった。

アメリカが日本を守ってくれているということを否定はしない。それも軍隊をもたない日本の現実の一部だ。しかし、アメリカ軍は韓国にもいる。そして、軍隊を持つ韓国での北朝鮮による拉致問題は、日本のそれよりも遥かに深刻で、人数も多い。

e0010246_037497.gif軍隊を持たない日本は、おそらく人類市場空前の復興と高度成長を成し遂げた国でもある。戦前の50年の成長を、戦後の10年が上回っている。

e0010246_042221.gifまた、日本は"犯罪天国"といわれるにもかかわらず、犯罪率が低く、少年による殺人犯罪率の低さは驚異的だ。デーン·アーチャーとローズマリー·ガートナーは共著«暴力と殺人の国際比較»で、戦争を遂行する国の犯罪率が一般に上昇することをつまびらかにしている。日本を戦争しない国にしている憲法第9条は、日本の治安維持にも貢献している。

憲法第9条を変える必要があるだろうか?

国内でも約300万人の戦争犠牲者、戦後の復興と高度成長、良好な治安などの具体的な経験を、偏狭な民族主義の理念で否定するのは愚かだ。それらの経験を覆すほどの大きな経験がなければ、憲法第9条を変えてはならない。
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by MYP2004 | 2006-04-03 00:59 | 経済の視点から