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お金 ― I

e0010246_911358.jpg紙に山勘で1万円札とできるだけ大きさが近い長方形を書こうと試みた。我ながら、ほぼぴったりで驚いている。

長方形が実際の1万円札よりも大きければ大きいほど、あなたはお金に振り回されている。逆に小さければ小さいほど、あなたはお金の力をなめていて、これも良くない。

ホリエモンの"人の心はお金で買える"という発言にむかっ腹を立てている人の心は、多分、本当にお金で買えると思う。ホリエモンに心を見透かされたから、腹を立てているんだろう。

さて、お金で買えないものといえば、愛はお金では買えない。出会い、セックス、結婚はお金で買えるんだが、愛はそうじゃない。だって、HPAタンパク質のパターンが男女間の愛を決める主要因で、収容所の一文無しの囚人とお金持ちの令嬢とだって、愛は生じる。

お金でたいていのものは買えるけれど、買えないものもある。

お金を蓄えるということは、自由を蓄えるということだ。自由主義者はお金が大好きだ。もうほとんどお金主義者といっていい。私も例外じゃない。

でも、お金でうまく蓄えられない種類の自由もある。若さに伴う自由は、お金でうまく蓄えられない。お金で蓄えやすい不揮発性の自由と、お金ではうまく蓄えられない揮発性の自由がある。

労働者は自分の揮発性の自由を売って、不揮発性の自由しかうまく蓄えられないお金に換える。これって結構辛い現実だ。そしてそれにみんな気がついた。だから、社会運動は人々が労働者以外の何かになれる希望をちらつかせないとうまく行かない。ホリエモンが英傑なのは、まさに、その希望を示したからだ。

By Leoneed, also known as Lexar
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by MYP2004 | 2006-01-29 09:25 | 経済の視点から

ホリエモンは本当に勝ち組だったか

堀江元社長逮捕をめぐるマスコミのすさまじい報道ぶりを見ていて、私がずっと感じていた違和感の正体がわかりました。それは、「ホリエモンは果たして勝ち組だったか」という疑問です。

階層上昇を遂げて体制入りするには、人間の価値とは無関係に社会的資産が必要です。生まれ、育ち、人脈、学歴、能力、容姿etc・・・。それらに恵まれている人は、スタート地点から優位に立ち、体制の中でぬくぬくと生きていけるのです。

特に大切なのが最初の三つ。しかし、これは本人の生き方や志ではどうにもならないものですから、これで優位に立つのは理不尽だし、こういうものを重視する社会は停滞します。公正な社会とは、こういうもので人生に差がつかないよう、最大限の努力をする社会のことでしょう。

小泉政権では、このような社会的資産に恵まれている人間が大きな顔をしています。苦労知らずの冷酷な人たち。人の話はまともに聞かないし、国会での答弁にも誠意が感じられません。

一方、ホリエモンはどうか。彼は最初の三つにはさほど恵まれていません。彼が獲得したのは学歴です。しかし、学歴だけでは体制に指定席を確保できません。イギリスのパブリックスクールに入った労働者階級の秀才が、どれほど苦労するか。日常のしぐさ、微妙なアクセントの違いを笑われるのです。

日本にはそんな階級はありませんが、楽天・三木谷が大学と興銀時代の人脈にどれほど守られているかを見れば、その差は歴然です。中退で起業して既成の組織に入らず、階層上昇につながる人脈のないホリエモンは、本人のキャラもあって、いつも最後に逆転される運命なのです。

ホリエモンには、日本的なエリートの匂いがありません。ライブドアは寄せ集め集団で、学歴や大学名でつながっていなかったことがわかります。社会的資産の中で唯一手が届いた学歴をテコに、ホリエモンは寄せ集めの仲間と階段を駆け上ろうとしました。同じ動機を共有する宮内元取締役と、二人三脚で。

そんなホリエモンにはいつも、不安定感がつきまとっていました。毛並みの良くない人間は、どこまでいっても成り上がり扱いです。彼にはお金しかありませんでした。東大の佐藤俊樹助教授が、「持たざる者の反乱」「庶民派のダーティーヒーロー」と形容していますが、言い得て妙というべきでしょう。容姿も庶民的です。

「勝ち組になりたい!」と強く思わなければならなかった人なのです。そして、勝ったと思った途端に挫折。「体制の壁は厚いなぁ」というのが私の実感です。最初から勝っている人は、勝とうと思う動機そのものがないですからね。彼の言う「人の心は金で買える」というフレーズは、「人脈などのバックがなくても」という意味だと、私は解釈していました。

庇護者のいない子どもっぽい野心家と寄せ集め集団が、既成の社会秩序にどこまで食い込めるか。これがホリエモン劇場の最大の見物でしたが、結局は法に触れて犯罪者になってしまいました。権力に近づいた甲斐もなかった。ホリエモンに、ある種の爽快感を抱いて期待した人々の心情はどこへ向かうのでしょう。

価値観が多様化する中、ホリエモンの哲学には万人を納得させる深みと普遍性がなく、それが躓きの原因になりました。野心だけで暴走してもうまくいきません。でも、社会的成功のチャンスは誰にでも開かれるべきです。

世襲議員が牛耳るこの国で、いま社会は閉塞感を増すばかり。ここをどう突き抜ければいいのか。生まれついた場所から抜け出したい人間はどうすればいいのか。これが、ライブドア事件が私たちに突きつけた課題です。 by G2
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by MYP2004 | 2006-01-27 09:12 | リビングから見た社会

SCMで社員が壊れる!

最近、あるビジネス雑誌の「社員が壊れる」と題された特集を読みました。
効率化、コスト削減の中で、目に見えないところに大きな負荷がかかり、大変な思いをしている人が出てきてる、というような内容でした。

ビジネスの現場では、SCMという手法が進められています。サプライ・チェーン・マネジメントといって、簡単にいうと、「モノを作る場所から顧客まで、できるだけ効率的にしよう」ということです。極力、在庫は持たず、なおかつ顧客の要望を満足させる。機会損失をとことんまでなくす。そうやってコストを下げながら、成果を上げようという手法です。

このため、どこに大きな負荷がかかっているかというと、例えば、トラックの運転手さんです。
それこそ、毎日のように日本列島を縦断。作ったモノや収穫されたものをすぐさまトラックに載せ、指定されたところに運ぶ。睡眠時間2時間とか4時間とかで、一月に家族とほとんど過ごすこともなく、生活するためにトラックを運転する。
それで、何を運んでいるかというと、「どこそこの特産ゼリー」とか「産地直送のなんたら」とか、そんなものです。

そう、今日、私が口にして満足を得ているものは、そうした知らない人の苦しみの果てに手にしたものかもしれないのです。いわば「他人の不幸の上に築かれた満足」かもしれない。

私の願いが叶うとき、誰かが泣いているかもしれないのです。

でも、この満足を捨ててまで、トラックの運転手さんのことを想えるだろうか。

今のこの状況は、決して一部の企業とか市場の論理でつくりだされたものではない。
そう、美味なるものに舌鼓を打ち、欲望を満たして快楽を覚えている人たちが作り出したものだ。

そして、私だって例外ではない。魯迅の言葉のように。

 四千年来、絶えず人間を食ってきた場所、
 そこにおれも、なが年暮らしてきたんだということが、きょう、やっとわかった。

 四千年の食人の歴史をもつおれ。
 はじめはわからなかったが、いまわかった。
 まっとうな人間に顔むけできぬこのおれ。

 人間を食ったことのない子どもは、まだいるかしら?
 せめて子どもを・・・。
                       「狂人日記」より

BY兵士シュベイク
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by MYP2004 | 2006-01-24 21:52 | サラリーマンのひとりごと

コニカミノルタの敗退

写真業界の雪崩が・・
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今月に入ってすぐ、あのニコンが原則フィルムカメラからの撤退をすると言う報道が成されました。
これは朝日の報道だったわけですが、ニコンはこの報道を否定も肯定もせず、と言うことは、これはその通りなのでしょうが、ちょっとショッキングなニュースでもありました。
ただ、詳しい内容はニコンが発表していない限り良くわからないのが実情ですが、今のところ言われているのが、現在7機種発売しているフィルムカメラを2機種にとどめ、それようのレンズも一部は残すものの全体では縮小させると言うものです。
このうち、製造を続ける1機種は他社で製造し、ニコンのブランドで販売しているOEM製品ですから、実際にニコンが製造を続けるのは1機種と言うことになります。
こうして、フィルムカメラ生産のための手間を縮小させ、デジタルカメラを今後、同社の収益の柱としてそこに経営資源を投入していくわけで、路線的には時代に適合した正しい路線なのかもしれません。

しかも、ニコンの場合はレンズマウントに互換性がありますからデジタル専用に設計された広角系レンズ以外は、ある程度のフィルムカメラにはそのまま使えるため、これまでにユーザーにかける迷惑というものは少ないようにも思います。
(個人的にはもう1機種、中堅クラスのカメラを残して頂かないと、フィルムでしか表現できない微妙なトーンの再現を要する撮影に使えるカメラが、あまりにも高価だと仕事の方向性が狂う・・問題はあるのですが・・)

ところが、先日、コニカミノルタの公式発表はニコンの発表で受けたショックを数倍上回る写真業界の大激変であったのです。
それは、同社が昨年発表していた写真・カメラ部門の縮小をさらに進め、本年3月末までにカメラ部門から撤退、さらに、2007年度までに段階的にフィルム部門、業務用プリンター部門から撤退すると言うとんでもないものでありました。
既に世界4大メーカーと言われたフィルムメーカーのうち、昨年にはアグファが撤退、残る3社のうちでコニカのフィルムが消えるわけで、これで世界の大手フィルム(感材)メーカーはコダック社と富士フィルムの2社になってしまいます。
コニカミノルタの元となったコニカは、小西六写真工業の名で1世紀に渡り日本の写真産業の先頭を切って走っていました。初の国産フィルム、初の国産カメラ、初の自動露出、初のオートフォーカス、初の好感度フィルム、初のモータードライブ内臓カメラ、初のストロボ内蔵カメラ・・・同社の歴史はそのまま写真の進化の歴史だったわけです。
また、感材でも、発色の美しい同社のペーパーの愛好家も多く、業務用としても広く使われていました。
もう1社、コニカミノルタの元になったのが、ミノルタです。
こちらは関西で孤軍奮闘するカメラメーカーとして知られていました。
(関西には別に業務用カメラメーカーの最大手、酒井特殊カメラ・・トヨ・・があります)
ミノルタの商号はミノルタカメラを発明した千代田実氏の名前から来ていることは有名で、氏の自宅から六甲連山が美しく見えることからレンズに「ロッコール」と名づけられたわけです。
ミノルタはニコンがプロ用やハイアマチュア用カメラに絞って進んでいく中、カメラを大衆のものとして広く広げていった功績のある会社で、ミノルタSR-1やSR-101、あるいは日本最初のフル自動露光カメラミノルタXD、そして、写真の歴史を塗り替えた全自動システムαー7000、そう行った名作を次々に世に送り出してきた会社であります。

この2社が合併したのは、ミノルタが全自動一眼レフの先駆をつけながら、デジタル一眼レフ開発に際し、路線を誤り、後発のニコン、キャノンに追いぬかれ、一気に差をつけられたことから業績が悪化、経営体力に余裕のあったコニカに吸収された・・と言うのが真実なわけですが、結果として、フィルム、カメラ双方とも満足に勝負できず、ここで一気に撤退となってしまったわけです。
同じ感材メーカーでも富士フィルムがデジタル化へ積極的に乗りだし、今もある程度の地位を保っているのとは大違いですし、カメラ部門でもニコンやキャノンといった、全自動一眼レフで遥かに差をつけたはずの2社が、今やデジタルカメラでは逆にコニカミノルタの遥か先を走っているのとは大違いな様相です。

永年、この業界にいる僕としては同社の今後を祈らずにはおれませんが、売上の割合が低下しているとはいえ本業たる写真から撤退したコニカミノルタが果たして事務機器や医療機器で立ち直ることが出来るかどうか・・はなはだ疑問でもあります。
たとえば、餅は餅屋と言う言葉があるように、餅屋が多角化の一環として饅頭を売り出したり、うどん屋を開いて「力うどん」を名物にしようとする・・これは正しい生き方であると思うのですが、餅屋が時流であり、客単価が高くて儲かりそうだからと、フランス料理を始めたらどうなるでしょう・・
もちろん、用意周到にすれば案外出来るかもしれませんが、ただ本業がだめだからと目を変えるためだけにそっちへ行っても、多くの強烈なライバルたちに押しつぶされるだけだと・・僕には思えてならないのです。

今も昔も、何屋かわからない会社は駄目だと良く言われます。
写真業界から逃げたいのはわかりますが、顧客もファンも捨てた会社が厳しい世の中を渡っていけるのか・・はなはだ心配です。

byこう@電車おやじ
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by MYP2004 | 2006-01-21 11:31 | 神戸舞子から世間を見ると

天を仰ぎ見る者

スーパーマクロな話をします。

40億年前、直系400kmの小惑星が地球に激突し、そのエネルギーで熱せられた岩石が蒸発し、摂氏数千度の岩石蒸気となって地球を覆いました。このとき生き残ったのは、地下1500mあたりに生きていたカビのような微生物で、彼らが今の地球の生き物全ての祖先です。

6億年前、メタンと酸素のバランスが崩れ、地球は平均気温摂氏-50度の極寒の惑星になり、生き残ったのは温泉とその周囲にいた微生物だけでした。

2億5000万年前、スーパープルームと呼ばれる大噴火が起こって、地球上の生命の95%が失われました。

生き延びることがあらゆる生命に課せられた個別目的であり、同時に、共通目的でもある、と仮定しましょう。

人類は次の天変地異を生き延びるべく進化した生命体です。

歴史を通して、人類の主導権は常に天を仰ぎ見る者に握られてきました。ヨーロッパ中世の教会は天にまします神に祈りを捧げ、20世紀の超大国、アメリカとソ連は競って宇宙に乗り出しました。

アメリカがロクデナシのゴロツキ国家としての一面を持っているのは、世界中の多くの人が周知の事実ですが、それでもアメリカには金と人材が集まります。テロリストもケネディー宇宙センターやエドワーズ空軍基地を狙いません。

世界を平和にするために、アメリカは戦争に巨額の予算を当てることを止め、地球上の生命の代表者としての人類の仕事にもっと注力すべきでしょう。良きアメリカは常に、天を仰ぎ見るアメリカだったのです。

by Kinjo, aka Lexar
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by MYP2004 | 2006-01-19 10:14 | 経済の視点から

ヒューザーとライブドアと震災と宮崎勤と

耐震強度の偽装疑惑で、ヒューザーの社長が国会の証人喚問を受けましたね。
喚問の中で、幾人かの有力政治家の名前が出てきました。

そして、この証人喚問が行われた日が1・17。そう、兵庫県の震災の日ですね。
しかも、宮崎勤の最高裁判決が出る日。
加えて、なんというタイミング! ホリエモンまでが家宅捜索を受けた!

まあ、こういうのを「下種の勘ぐり」というのでしょうがね。
私みたいな一介のサラリーマンにはどうでもええことですが。

高村薫さんの短編小説「父が来た道」(文春文庫「地を這う虫」所収)を思い出しました。
主人公はある有力政治家の運転手。彼は元刑事。父はその有力政治家の地元支持者で、政治家の汚職の罪をかぶって服役中。
物語の最後、疑獄を策略を使い、間一髪で免れた政治家。その姿を見た主人公は、こう思う。


 司直の追及をかわし、際どいところで不正を封じ込めた張本人は、慰みに孫の誕生日を思い出しながら、自分でプレゼントを渡そうとはつゆ思うこともなく、代わりに三日から繰り出す新たな策謀で、すでに頭は一杯なのだった。
 夫人はゴルフに行き、亭主は孫の誕生日のプレゼントを運転手に調達させる。世間が期待した構造汚職の追及の一方で、政治家たちの日常とはこれだった。市井の暮らしとはかけ離れたその日々について、なおも凡庸な魂の凡庸な嫌悪感はあったが、それ以上に慎一郎(引用者注:主人公)は、今こそ政治の世界の化け物に心眼を奪われた思いがし、ああ、父がのめり込んだのはこの感覚だったのかと一瞬考えた。事業欲もさることながら、服役の辛苦さえ父に呑み込ませ、痛恨さえ次のステップのためのバネにさせてしまうのは、この魔力だったのか、と。
 権力という魔力の効いた向う側の世界へ一歩踏み入れたが最後、世界の見え方が変わり、発想も感情も欲望もすべてが形を変える。家族を含めたすべての人間も、敵を叩き潰す闘争も力の誇示も、嘘も非道も、権力の魔力の下で回り続ける。そんな向う側で父は生きてきたのだと、慎一郎は初めて考えた。


今日の証人喚問でも、様々追及がなされていました。
政治家たちの政争の具として。
被害者の住民たちを置き去りにして。

by兵士シュベイク
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by MYP2004 | 2006-01-18 00:19 | サラリーマンのひとりごと

「大変な世の中」とはいうけれど・・・

「最近、物騒な世の中になったなぁ」
「いろんな事件があって、なんか、すごい不安やなぁ」
「世界各地で紛争とかあって、いやな世界になったなぁ」
ここ数年、社会は悪い方向に変わってしまったんじゃないか、というような雰囲気が随所に見受けられますよね。

ほんとにそうなのかな? ちょっと疑問に感じる時があります。
昨日、10年前に放映されていた某放送局スペシャル「映像の世紀」を観ました。20世紀はとても大変な時代だったんだと改めて思いました。
でも、もっと遡ってみて、戦争が日常茶飯事だった時代もあったわけですよね。ペストが大流行し、たくさんの人が亡くなった時代もあった。
つまり、それぞれの時代には、またそれぞれの不安感とか危機があったわけで、そういうものを人々は智慧を出して乗り越えてきたんじゃないか、と思うのです。また、時には、その危機を乗り越えられずに衰退した場合もあったでしょう。

現代はメディアとかインターネットの発達で、リアルタイムに色んな情報を知ることができる。今まで一部の人しか知らなかった情報も、手にすることができる。

こういう時代、人々の意識は二つに分かれるのではないか。
一つは、ある程度恵まれた人は「自分のいる場を守るため」に、そうじゃない場とか人との間に壁を作る。「私はああはなりたくない」「あれは私には関係がない」という意識。二極に分かれようという風潮です。
もう一つは、「あの状況は、私にも起こり得る」「私は決して無関係ではない」という意識。
願わくば、後者のような意識に目覚める人たちの連帯を強め、世の中を良い方向に修正する動きへと結びつけたいですね。

by兵士シュベイク
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by MYP2004 | 2006-01-15 18:00 | サラリーマンのひとりごと

小選挙区化するマスコミ、うっとうしい「功名が辻」

テレビで放映されている連続ドラマの人気が落ちているそうです。そう言えば、我が家でも全く観なくなりました。今何をやっているのかも知りません。年齢のせいかと思ったのですが(それもあるかもしれませんが・・笑)、状況は大学生の二人の娘も同じなのです。

どうしてなのか考えてみました。まず「忙しい」。毎週同じ曜日の同じ時間に、ドラマを観ることは難しいですよ、実際。娘たちも、少し前までは「このドラマ観てみよう」などと言っていましたが、年中「あ、忘れた」と言いいながら・・・ついに観なくなってしまいました。

その上、趣味や嗜好はどんどん多様化・・というより、個別化しています。社会は、趣味や嗜好を同じくする無数のグループに分かれつつあり、他のことには興味を示さないという人も増えています。テレビが娯楽に占める位置は低下する一方です。つまり、テレビは面白くないのです。

それなのに、テレビは視聴率という物差しで世界をみている。視聴率トップと言っても、普通はたかだか20%台ぐらいでしょう? テレビをつけている人の5人に1人が観ているといったって、全体から観れば大した数ではなかったりするわけです。一喜一憂するほどか。

今の時代、一番人気といってもその程度。それなのに、その最大グループが大勢であるような取り上げ方をする。新聞もそんな感じですよね。こういう在り方に、違和感を感じている人は少なくないと思います。これを私は、「マスコミの小選挙区化」だと考えています。

小選挙区化は、民主主義の肝要である多様性を潰します。政治から始まって、社会全体に広がる小選挙区化。最大勢力である無党派層を無視して「民意」を語る新聞。その安易な姿勢は、やがて社会を衰退させるでしょう。

ところで、迷走を続けるNHKの新大河ドラマは「功名が辻」。夫を出世させる妻を讃える言葉、「内助の功」の手本とも言える山内一豊の妻を描いたものですが、一体誰をターゲットにしているのか。しかも視聴率を上げようと、日テレ顔負けの連日連夜の大宣伝。どうかと思いますね。 by G2
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by MYP2004 | 2006-01-09 21:51 | リビングから見た社会

年金と保険をごっちゃにする阿呆政権与党

あけましておめでとうございます。
G2さんと交代で書いているこのブログも、一年が過ぎました。
これもひとえに訪れてくださる皆様のおかげであります。
本当に有難うございます。
また、本年もよろしくお願いいたします。

さて、新年早々、めでたくない報道が成されています・・

読売新聞報道http://www.yomiuri.co.jp/politics/news/20060104ia02.htmから・・

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厚生労働省と社会保険庁は3日、国民年金の長期未納者と長期未加入者について、国民健康保険(国保)を使えなくする措置を導入する方向で検討に入った。

 国保が使えなくなると、医療機関に受診した場合の患者負担は全額自己負担になる。年金の未納・未加入者に対する事実上の罰則規定を設けるものだ。実施の具体的な基準を詰めたうえで、早ければ2007年度から実施したい考えだ。

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どうもこのサイトに来られる方の中には朝日新聞に異常な敵意を持っておられる方が多いようで・・今日は読売からのソースとさせていただいていますが、この記事がWEB上に出ていなかったのはサンケイだけで、朝日、毎日も同じ内容の記事が出ています。
で・・まあ、新聞社のことはどうでも良いのですが、この報道を素直に受け入れる世の中・・これは恐ろしい世の中になったなあと感じている次第です。

年金に比べ国保の納付率は高く、それは人間病気にならず、怪我をしない人はないという共通の理解があるからだと思うわけですが、現実に年金は刻一刻と破綻への道を歩んでおり、すでに一昨年の「年金100年安心プラン」なるものも、単なる客寄せパンダであったことは分かっているわけですが、年金の納付率の低下と言うその最大の原因は政府への不信、不安にあることは明白です。
ところが、政府は自らの失政への責任を国民に押し付け、年金とは別物の国保による制裁をすると言うわけですから、これは尋常ではありません。
医療難民なる言葉が生まれて久しいですが、現実に低所得者の間では病院に行かない、医者にかからない人も増えてきており、何を隠そう、この僕も、月に2度の定期的な通院を月に1度若しくは、二月に一度にして生活を維持しています。
持病を持っているからですが、大発作の恐れがない状態では、頻繁に医者通いなど出来ないわけです。

今後、こう言う問題はさらに大きくなっていくでしょう。
救急車で病院に担ぎ込まれても、医療費が支払えないと治療は受けられず、寒風吹きすさぶ町の中へ帰らねばなりません。
本来、憲法にあって健康で文化的な生活が約束されているこの国の目指す方向は、まさにその正反対の、「金のないものは生きるな」的社会へ変わっていってしまうことの怖さを、もっと皆が知らなければならないと感じています。
特に許せないのは、「庶民の味方」を掲げ、与党の中にある公明党で、こう行った馬鹿げた政策に文句のひとつも言えなければ、同党の存在意義はないに等しく、結果として信仰の世界と政治の世界をごちゃ混ぜにしながら権力の手先となっていく哀れな政党に成り下がってしまったと言うことでしょうか?

少なくとも、日本はこれまで殆どの国民が健康保険の恩恵を享受してきたわけです。
それを、年金の問題と絡め、制裁をそこに持っていくと言うのは、政府には一切反省する気持ちはなく、庶民の味方になる気なぞさらさらなく、ただ単に「言うことを聴かなければ怖いぞよ!」と鞭打つ阿呆総理が率いる阿呆政権ならではの成せる業であると思う次第です。

ちょっと言葉がきつかったですが、怒りの大きさをあらわすモノと受け止めてくださればと思います。byこう@電車おやじ
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by MYP2004 | 2006-01-04 13:04 | 神戸舞子から世間を見ると