カテゴリ:神戸舞子から世間を見ると( 32 )

ブログ引越しのお知らせ

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コメントは新ブログか掲示板へお願いいたします。
このブログは過去ログ保存用として、当面公開します。

by管理人

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by MYP2004 | 2006-05-14 10:51 | 神戸舞子から世間を見ると

帝国海軍元兵士の方を悼む

第二次世界大戦時の巡洋艦鹿島は、旧帝国海軍の中で生き残った運のよい戦艦です。
この鹿島に尾道出身の一人の青年が乗り込んで大陸へと向かいました。
もう70年近く前の話です。
この青年が、後に、僕にとっては大切なお客様の一人となられた方です。
(そうそう、僕は町中の写真屋です)

青年の軍隊は上海に上陸・・日本軍の統治下にあった上海の町は、当時としても日本のどの町よりも美しく、都会的であったそうです。
青年の部隊は隊伍を整え、上海市内を行軍しました。
当時の上海は既にクルマも多く、路面電車やバスも走っていたそうですが、それらの交通を全て遮断して日本軍司令部まで、行軍は続いたそうです。
部隊はしばらく上海に滞在した後、南京に移動・・
南京では青年は陸軍が侵攻して行った破壊の跡をまざまざと見ることになります。
ここでは、当時、やや年上で後に友情を結ぶことになる別の青年も、この街の任務についていましたが、このときはお互い、知る術もありません。

生来のお人よし・・
決して威張ることなく、軍隊では目立たない存在だったそうです。
終戦で鹿島とともに青年はお役御免となります。

戦後は小さな鉄工所に勤め、やがて技術を取得して独立・・
高度経済成長の波に乗り、かつての青年が壮年になる頃には作り上げた会社が軌道に乗り、贅沢とは言わないまでも一人前以上の暮らしをするようになっていました。
そんなとき、自宅近くの壮年と知り合います。
始めは趣味の庭弄りから・・そして、その壮年が得意にしていたカメラを、ともに楽しむようになられます。
そして、その壮年もまた海軍出身で、南京陥落作戦に従軍していたことを知り、二人の間は親密になっていきました。

70歳過ぎて現役を引退・・
自由気ままな暮らしに、最初は戸惑ったものの、生来の楽天家・・
庭弄りとカメラの趣味に没頭するようになっていきました。
そんな中、「鹿島」の戦友会にも毎年欠かさず参加、戦友会から帰ってきたときはいつも海軍の帽子を被ったまま、背筋をしゃんとして伸ばし、しっかり歩く姿が印象的でした。
昨年は何を思われたか、春先から何度も呉に行き、自衛艦をたくさん撮影しておられました。
また、映画用に作られた「大和」のセットにも何度も足を運んでおられました。
戦友会はひときわ楽しかったようで、僕にもその楽しさを伝えてくれました。

夏には大勢のお孫さんを連れて、靖国神社へ・・
「みんな、わしの戦友や上官が、あそこに眠っとるんじゃあ・・いっぺん、孫を連れていってやりとおてなぁ・・」
お孫さんは皆10代後半から20代前半の青年たち・・
彼が青年時代には考えられないような服装で、そして、元気で明るい・・
そのお孫さんたちが、靖国神社でおじいさんの話を聞いて、泣いたそうです。

冬・・しばらくお顔を見ない時期がありました。
そのあと、ビックリするくらい、たくさんのフィルムを持ってこられ、上機嫌でこう言われました。
「上海にいってきたんじゃあ!」
青年のように頬を紅潮させて・・
「上海はすごいんじゃ!あの上海があんな立派な街になっとるんじゃあ・・!わし、腰を抜かしてしもうてなあ・・いやあ・・中国人の頑張りはすごいわ」
「かつての軍司令のビルも見に行ったがなぁ・・昔は、そのビルだけが立派な建物やったんじゃ・・今は後ろにもっと大きなビルがたくさんあってなぁ」
帰国後も感動さめやらぬのでしょうか・・僕に一生懸命に話をしてくれました。
中国人のガイドさんも立派な方で、反日運動が激しい中、誠意をつくして、見たい所をすべて見に連れて行ってくれたそうです。

今年の春は寒く、神戸の桜が咲き始めたのは、例年に比べずいぶん遅くなってからでした。
自宅の桜や雪柳を撮影した写真を受け取りにこられ・・
「いつまでも寒いなあ!」
そう元気に笑っておられたのが、お姿を見た最後でした。
1種間ほどして、その人よりも10歳も年上の、その人の友人が、沈痛な表情で喪服を着て来店されました。
黙って現像に出されるフィルムに写っていたのはまさに、ついこの間、上海にいってこられた、あの方でした。

今日は敢えて、僕がお聞きした事と、その方の思い出だけを書きました。

今はもう、いつもの優しい笑顔を見る事が出来なくなってしまった、その方のご冥福をお祈り申し上げます。

byこう@電車おやじ
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by MYP2004 | 2006-05-02 21:01 | 神戸舞子から世間を見ると

新世界雑感

久々に新世界へ行きました。
地下鉄堺筋線の恵比寿町を降りて、北へ行くと電気の町・・日本橋(にっぽんばし)・・南へ行くと阪堺電車の恵比寿町駅があって、その東に通天閣への商店街が伸びています。
このあたり一帯を新世界と言います。
庶民的と言われる大阪の町でも、最も庶民的な香りがする町です。
このあたりはまた、もっとも大阪らしい観光地でもあります。
通天閣、新世界商店街、天王寺動物園、フェスティバルゲート・・およそスマートと言うには程遠いこれらの施設は、大阪の熱と個性を発揮して余りあります。

その新世界で、僕は久々に串カツを食い、大量の昼酒を飲み、寿司を食いました。
連れていってもらった店が良かったので、どれも満足する味とボリュームと・・値段でした。
ほろ酔い気分で、友達と別れ、折角だからとあたり一帯を散歩しました。
新世界も昔から比べると随分、きれいになりました。
きれいになった分、かつてのエネルギーはあまり感じられなくなったような気もします。

さて、実はこの場所は知る人は知る・・大阪のもうひとつの顔・・
釜ヶ崎のすぐ近くでもあります。
例えば、地下鉄動物園前駅や花園町駅、JR新今宮駅・・一帯どれくらいの路上生活者がこれら駅をねぐらにしているのか・・
道を歩けば、嫌でもそう行った人たちの姿が目に飛び込んできます。

新世界から一歩南へ・・大阪環状線の線路を超えるとそこは釜ヶ崎です。
労働者の町・・そう言えば聞こえは良いですが、日雇い労務者が多数暮らす町です。
この人たちにとって、今年の冬はことのほか、寒い冬でした。
町はきれいに、立派になっていきますが、彼らの住める場所はどんどん少なくなっていきます。
仕事もかつてのようにたくさんあるわけではありません。
例えば、公共工事の縮小や廃止はこういった人たちの生活を直撃してしまいます。
仕事があれば「ドヤ」と言われる宿泊所で休むことも出来ます。
たまには串カツを食うことも、酒を飲むこともできるでしょう・・・仕事がなければ、寒さを少しでもしのげる場所を探さねばなりません。
僕たちはともすると、こういった人たちを視界から離そうとしてしまいがちです。
けれども、もう一度ここで考えてみて欲しいのです。
だれもが、路上生活者にならないと言う保証はないのです。
もしも自分がそうなってしまったら・・
そう考えると、ないがしろに出来ない問題ではあります。

この地域にはさらに、表立って書く事の出来ない世界・・飛田新地の存在もあります。
大都市とは、本来、混沌としたエネルギーの坩堝である・・
ガード下を歩いていると、そんなことが頭に蘇ってきました。
何故かすれ違うおじさん連中の多くが、手に食パンを3枚ずつ、持っています。
誰かが食パンを配っているのだろうか・・
でも、寒さをしのぐにはなにか暖かいものが・・・要るだろうに・・
僕は、この町で出会った詩人の言葉を思い返していました。

命・・・東淵修

すきまもない命を
すきまもないところに
あなたは横になっている
生きていくのには

立って四分の一畳
座って二分の一畳
寝て一畳

命を粉ごなにして
一畳の間に閉じこめて
息を殺していること


byこう@電車おやじ
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by MYP2004 | 2006-03-30 18:53 | 神戸舞子から世間を見ると

複雑な心境の神戸空港開港

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神戸空港開港!
さて、このブログでも折につけ神戸空港の話題を出していますので、今日、2月16日、開港の日にこれを書かないてはないということで・・書かせていただきますね。
神戸空港の1番機は元気良く、雨模様の空の中へ突っ込んでいきました。
1番機の乗客は雨の神戸を眺めるまもなく・・雲の中へ・・
さて・・その1番機、実は昨夜には空港に到着して、整備の上、今朝の出発をするはずでした。
しかし天候不良・・
冬の神戸には六甲おろしが吹き荒れます。
昨夜は風はそれほどではなかったものの、雨と霧の強烈な天候不良の結果、ボーイング777は昨夜のうちに神戸空港に着陸することができず、関西空港で夜を明かしてから今朝早く神戸にやってきて慌しく準備をしたものでした。
どうも前途多難な幕開けで、これでは先が思いやられます。
神戸市民としてはこの空港には何がなんでも黒字になって安全運行してもらうしかないわけです。
初日にその安全運行に不安が残る出発をする・・これではこの先どうなるの・・?

空港の経営も初日から火の車です。
例えば、個人商店が、運転資金なし、開店のための工事費の借金も返すあてもなし、さらに、営業収入も、最初のもくろみの半分以下しか得られない・・
こうなったら・・どうなるでしょう・・
あまりに無謀なその計画で商店を継続して営業することはできるでしょうか?

神戸空港の収入の最大たるものは航空機の着陸料です。
けれども、航空機を呼びこむために着陸料を当初予定の半額に下げ、やっと集まった航空機は更に着陸料の安い中型機ばかり・・次に重要な収入源である飛行機利用客の駐車場も新幹線から乗客の転移を目指すために航空機利用客は無料!
年間320万人程度の利用は見込めるとは言っても、良く考えれば1日の利用者は一万人以下・・
これでは地方都市の駅並の利用者しかないことになり(因みに市内の舞子駅利用者は二万人です)テナントの経営すら成り立つやらどうやら・・
更に空港建設費は空港島の分譲で賄うことになっていたのですが、販売価格を値下げしても、土地は殆ど売れず、今もって販売できたのは僅か0.2%・・
つまり、この空港は運転資金も、借金の返済も、必要な売上もないという状態で開業してしまったわけです。

少なくとも市民に対し「一切税金の投与はない」と断言する市議会と市長ですが、これで税金投入の必要が出てきたら、どう釈明するのでしょうか?
どう責任を取られるのでしょうか?

神戸市民としてはこの馬鹿げた空港ではあるけれども、出来てしまった以上・・使われ、愛され、儲けてもらわないといけないわけで・・
甚だ複雑な心境ではあります。
byこう@電車おやじ
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by MYP2004 | 2006-02-16 10:38 | 神戸舞子から世間を見ると

11年目の神戸

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震災から11年・・昨年もこの時期に現状を書きましたが、1年でさほどの進展は見られず、11年前の被災地やその周囲の景気は沈滞したままです。
百貨店の売上こそ、前年を上回り始めたようですが、鉄道利用客はここ数年横ばい、もしくは減少・・高速道路の利用も同じ状況です。
僕は昨年、久しぶりに東京へ出て、まさにお上りさんになった気分でした。
それは、僕が頻繁に東京へ出かけていた20年ほど前とのあまりの違いに愕然としたというのが正しいのかもしれません。
驚いたのは新宿や渋谷の人の多さ、いや、それどころか、休日の早朝の電車、下り方向への太い乗客の流れ・・
神戸で休日の早朝、例えば姫路方向への電車が満員になるなんて今では考えられない状況です。
そして、夕方の新宿のどこからともなく溢れるように湧きあがり、どこへともなく消えていく人の波・・
こう書けば東京在住の方に笑われるかもしれませんが、自分の住む町を少なくとも都会であると信じ、個性的でお洒落であると誇りに思っている神戸市民も東京へ出ればただの田舎モノに過ぎない・・そう感じたわけです。

しかし、やはり考えてみると震災前の神戸・・アーバンリゾート都市宣言をし、積極的にウォーターフロントを開発し、夢のような大都会を目指していた頃の神戸には、今とは比べ物にならないくらい人が溢れていました。
三宮センター街・・ゆったりとしたアーケード街ですが、ここの路面が見えないくらいの人の波は震災後、すっかり減ってしまい、今やゆったりと歩くことも出来ると言う皮肉な現状・・
あるいは阪急三宮駅北側の飲食店街には夜になると人が溢れ、店の前にはどこも長蛇の列・・人気の店では時間制限をかけられる事もしばしばあると言う・・あの賑わいは神戸からすっかり姿を消してしまいました。

震災から11年・・今月にはついに神戸空港が開港します。
最初に乗り入れる27往復の旅客機は、神戸にどんな賑わいを運んでくれるでしょうか?
けれどもまた、この空港の経営が失敗すると言うことになると、それだけ神戸市民の負担は増大する危険性もはらんでいて、既に分譲地が売れない、あるいは着陸料を値下げせざるを得ない、あるいは駐車料金を無料にするしかないと言った・・誤算は表面化してきています。
三宮から近いとはいえ、神戸空港までは新交通システムで20分弱・・快速の運行もあると言うことですが、それは毎時2本程度・・地下鉄がニュータウンや郊外と直結する新神戸駅の新幹線と比べると利便性にも難があると言わざるを得ません。

震災復興を進めながら、それでもこれだけはと進めた神戸空港・・
そして、ようやく表面上は復興したかに見える町・・
けれども、そのニュースの影で、未だに自分の土地が更地のままで家を建てられない市民や、住宅ローンのほかにマンションや住宅の補修ローンに苦しむ市民は蚊帳の外において行かれようとしています。
家族や親戚、友人をあの震災で亡くした心の隙間は、それこそ埋めることが出来ないものでありましょう。
町の景気は回復せず、震災のあとで苦しみぬいて撤退した地元資本のあとに、威容を誇る中央資本のビル・・
神戸らしさが失われて当然の、中央資本による復興か進出か分からない・・現在の人目では復興・繁栄に見える状況の中・・震災被災者は置いてけぼりを食い、昨年の偽装マンション住民には震災被災者に比べることも出来ない手厚い公的補助・・
神戸の繁華街が震災前の人並みを取り戻すことは出来るのだろうか・・・
ただの地方都市・・何もかも東京と似た町になっていく神戸市民としては複雑な心境ではあります。
震災は今や1月17日だけの物語として、その日だけのものとして記憶されるようになっていくのでしょうね・・
byこう@電車おやじ
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by MYP2004 | 2006-02-01 10:15 | 神戸舞子から世間を見ると

コニカミノルタの敗退

写真業界の雪崩が・・
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今月に入ってすぐ、あのニコンが原則フィルムカメラからの撤退をすると言う報道が成されました。
これは朝日の報道だったわけですが、ニコンはこの報道を否定も肯定もせず、と言うことは、これはその通りなのでしょうが、ちょっとショッキングなニュースでもありました。
ただ、詳しい内容はニコンが発表していない限り良くわからないのが実情ですが、今のところ言われているのが、現在7機種発売しているフィルムカメラを2機種にとどめ、それようのレンズも一部は残すものの全体では縮小させると言うものです。
このうち、製造を続ける1機種は他社で製造し、ニコンのブランドで販売しているOEM製品ですから、実際にニコンが製造を続けるのは1機種と言うことになります。
こうして、フィルムカメラ生産のための手間を縮小させ、デジタルカメラを今後、同社の収益の柱としてそこに経営資源を投入していくわけで、路線的には時代に適合した正しい路線なのかもしれません。

しかも、ニコンの場合はレンズマウントに互換性がありますからデジタル専用に設計された広角系レンズ以外は、ある程度のフィルムカメラにはそのまま使えるため、これまでにユーザーにかける迷惑というものは少ないようにも思います。
(個人的にはもう1機種、中堅クラスのカメラを残して頂かないと、フィルムでしか表現できない微妙なトーンの再現を要する撮影に使えるカメラが、あまりにも高価だと仕事の方向性が狂う・・問題はあるのですが・・)

ところが、先日、コニカミノルタの公式発表はニコンの発表で受けたショックを数倍上回る写真業界の大激変であったのです。
それは、同社が昨年発表していた写真・カメラ部門の縮小をさらに進め、本年3月末までにカメラ部門から撤退、さらに、2007年度までに段階的にフィルム部門、業務用プリンター部門から撤退すると言うとんでもないものでありました。
既に世界4大メーカーと言われたフィルムメーカーのうち、昨年にはアグファが撤退、残る3社のうちでコニカのフィルムが消えるわけで、これで世界の大手フィルム(感材)メーカーはコダック社と富士フィルムの2社になってしまいます。
コニカミノルタの元となったコニカは、小西六写真工業の名で1世紀に渡り日本の写真産業の先頭を切って走っていました。初の国産フィルム、初の国産カメラ、初の自動露出、初のオートフォーカス、初の好感度フィルム、初のモータードライブ内臓カメラ、初のストロボ内蔵カメラ・・・同社の歴史はそのまま写真の進化の歴史だったわけです。
また、感材でも、発色の美しい同社のペーパーの愛好家も多く、業務用としても広く使われていました。
もう1社、コニカミノルタの元になったのが、ミノルタです。
こちらは関西で孤軍奮闘するカメラメーカーとして知られていました。
(関西には別に業務用カメラメーカーの最大手、酒井特殊カメラ・・トヨ・・があります)
ミノルタの商号はミノルタカメラを発明した千代田実氏の名前から来ていることは有名で、氏の自宅から六甲連山が美しく見えることからレンズに「ロッコール」と名づけられたわけです。
ミノルタはニコンがプロ用やハイアマチュア用カメラに絞って進んでいく中、カメラを大衆のものとして広く広げていった功績のある会社で、ミノルタSR-1やSR-101、あるいは日本最初のフル自動露光カメラミノルタXD、そして、写真の歴史を塗り替えた全自動システムαー7000、そう行った名作を次々に世に送り出してきた会社であります。

この2社が合併したのは、ミノルタが全自動一眼レフの先駆をつけながら、デジタル一眼レフ開発に際し、路線を誤り、後発のニコン、キャノンに追いぬかれ、一気に差をつけられたことから業績が悪化、経営体力に余裕のあったコニカに吸収された・・と言うのが真実なわけですが、結果として、フィルム、カメラ双方とも満足に勝負できず、ここで一気に撤退となってしまったわけです。
同じ感材メーカーでも富士フィルムがデジタル化へ積極的に乗りだし、今もある程度の地位を保っているのとは大違いですし、カメラ部門でもニコンやキャノンといった、全自動一眼レフで遥かに差をつけたはずの2社が、今やデジタルカメラでは逆にコニカミノルタの遥か先を走っているのとは大違いな様相です。

永年、この業界にいる僕としては同社の今後を祈らずにはおれませんが、売上の割合が低下しているとはいえ本業たる写真から撤退したコニカミノルタが果たして事務機器や医療機器で立ち直ることが出来るかどうか・・はなはだ疑問でもあります。
たとえば、餅は餅屋と言う言葉があるように、餅屋が多角化の一環として饅頭を売り出したり、うどん屋を開いて「力うどん」を名物にしようとする・・これは正しい生き方であると思うのですが、餅屋が時流であり、客単価が高くて儲かりそうだからと、フランス料理を始めたらどうなるでしょう・・
もちろん、用意周到にすれば案外出来るかもしれませんが、ただ本業がだめだからと目を変えるためだけにそっちへ行っても、多くの強烈なライバルたちに押しつぶされるだけだと・・僕には思えてならないのです。

今も昔も、何屋かわからない会社は駄目だと良く言われます。
写真業界から逃げたいのはわかりますが、顧客もファンも捨てた会社が厳しい世の中を渡っていけるのか・・はなはだ心配です。

byこう@電車おやじ
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by MYP2004 | 2006-01-21 11:31 | 神戸舞子から世間を見ると

年金と保険をごっちゃにする阿呆政権与党

あけましておめでとうございます。
G2さんと交代で書いているこのブログも、一年が過ぎました。
これもひとえに訪れてくださる皆様のおかげであります。
本当に有難うございます。
また、本年もよろしくお願いいたします。

さて、新年早々、めでたくない報道が成されています・・

読売新聞報道http://www.yomiuri.co.jp/politics/news/20060104ia02.htmから・・

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厚生労働省と社会保険庁は3日、国民年金の長期未納者と長期未加入者について、国民健康保険(国保)を使えなくする措置を導入する方向で検討に入った。

 国保が使えなくなると、医療機関に受診した場合の患者負担は全額自己負担になる。年金の未納・未加入者に対する事実上の罰則規定を設けるものだ。実施の具体的な基準を詰めたうえで、早ければ2007年度から実施したい考えだ。

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どうもこのサイトに来られる方の中には朝日新聞に異常な敵意を持っておられる方が多いようで・・今日は読売からのソースとさせていただいていますが、この記事がWEB上に出ていなかったのはサンケイだけで、朝日、毎日も同じ内容の記事が出ています。
で・・まあ、新聞社のことはどうでも良いのですが、この報道を素直に受け入れる世の中・・これは恐ろしい世の中になったなあと感じている次第です。

年金に比べ国保の納付率は高く、それは人間病気にならず、怪我をしない人はないという共通の理解があるからだと思うわけですが、現実に年金は刻一刻と破綻への道を歩んでおり、すでに一昨年の「年金100年安心プラン」なるものも、単なる客寄せパンダであったことは分かっているわけですが、年金の納付率の低下と言うその最大の原因は政府への不信、不安にあることは明白です。
ところが、政府は自らの失政への責任を国民に押し付け、年金とは別物の国保による制裁をすると言うわけですから、これは尋常ではありません。
医療難民なる言葉が生まれて久しいですが、現実に低所得者の間では病院に行かない、医者にかからない人も増えてきており、何を隠そう、この僕も、月に2度の定期的な通院を月に1度若しくは、二月に一度にして生活を維持しています。
持病を持っているからですが、大発作の恐れがない状態では、頻繁に医者通いなど出来ないわけです。

今後、こう言う問題はさらに大きくなっていくでしょう。
救急車で病院に担ぎ込まれても、医療費が支払えないと治療は受けられず、寒風吹きすさぶ町の中へ帰らねばなりません。
本来、憲法にあって健康で文化的な生活が約束されているこの国の目指す方向は、まさにその正反対の、「金のないものは生きるな」的社会へ変わっていってしまうことの怖さを、もっと皆が知らなければならないと感じています。
特に許せないのは、「庶民の味方」を掲げ、与党の中にある公明党で、こう行った馬鹿げた政策に文句のひとつも言えなければ、同党の存在意義はないに等しく、結果として信仰の世界と政治の世界をごちゃ混ぜにしながら権力の手先となっていく哀れな政党に成り下がってしまったと言うことでしょうか?

少なくとも、日本はこれまで殆どの国民が健康保険の恩恵を享受してきたわけです。
それを、年金の問題と絡め、制裁をそこに持っていくと言うのは、政府には一切反省する気持ちはなく、庶民の味方になる気なぞさらさらなく、ただ単に「言うことを聴かなければ怖いぞよ!」と鞭打つ阿呆総理が率いる阿呆政権ならではの成せる業であると思う次第です。

ちょっと言葉がきつかったですが、怒りの大きさをあらわすモノと受け止めてくださればと思います。byこう@電車おやじ
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by MYP2004 | 2006-01-04 13:04 | 神戸舞子から世間を見ると

クリスマス雑感

クリスマスとは、イエス・キリストの降誕を祝う日として一般的に認識されていますが、そのイエス・キリストからの長い歴史を有するはずのカトリック教会での認識はちょっと違うようです。

以下はカトリック中央協議会のホームページhttp://www.cbcj.catholic.jp/から・・

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クリスマスはキリストの誕生、すなわち、神のひとり子キリストの誕生を思い起こす日として古代から祝われてきました。 イエスがいつ生まれたか、聖書には何も書いてありません。 12月25日がイエスの誕生の日とする最古の記録は、4世紀のローマの「殉教者帰天日表」です。


しかし昔は、地方によって1月6日に祝っていました。ちなみにロシア正教会は、今でも1月はじめにキリストの降誕を祝います。

ではなぜ、ヨーロッパのクリスマスは、12月25日に祝われるようになったのでしょうか?
つぎの説が、有力であるといわれています。

昔むかしローマ帝国内では、太陽崇拝が広く行われていました。 ローマ暦では12月25日が冬至で、この日を太陽誕生の祝日として祝っていたそうです。教会はこの祭日を取り入れ、「正義の太陽」であるキリストの誕生の日として祝うようになったそうです。


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単純に考えると、実はイエスの誕生日は1月6日あたりが有力で、12月25日と言うのは、教義的な降誕を意味する日として選ばれているようです。
僕はキリスト教徒ではありませんから、だからどうと言うことではないのですが、「生誕の記念日」よりも「正義の太陽であるキリストの誕生を思い起こす日」を選んで祝うあたり、なかなか考えさせるものがありますね。
さて、1月にしろ、12月にしろ、イエスは冬に生まれたようです。
中東、今のイスラエル・・気温は思ったほど高くはなく、最高で20度、最低で8度あたりと言いますから日本の中では屋久島あたりの気温に近い気がします。
これでは夜は寒く、伝説のとおり、暖房のない馬小屋でイエスが生まれたなら、母マリアにとっては、非常に苦しいお産であったでしょう・・

いまやクリスマスと言えば、キリスト教徒ではない僕たちにとっても、イルミネーションの美しい夜や、豪華なご馳走、子供たちへのプレゼントなどをイメージさせ、すっかり冬の行事として定着した感もありますが、それは反面には企業などの宣伝活動が功を奏した部分も多いと思いのですね。
結果として日本のクリスマスイブには高級ホテルは予約で満員・・レストランもちょっとおしゃれな居酒屋も、クリスマスの夜を楽しむカップルであふれます。
ただ、肝心のローマ法王庁はこう言うクリスマスが派手な商業イベントと化すのには抵抗があるようで・・

新聞報道によると、法王ベネディクト16世は「真の贈り物は『喜び』であって、高価な品物ではありません」と繰り返し商業主義を戒めているそうです。
貧しい旅の夫婦が、ようやく求めた一夜の仮の宿・・
そこで生まれたイエスを思うとき、クリスマスの現状はまさに、イエスの思想の正反対になってしまっているのかもしれませんね。
ただ、聖母マリアに思いを馳せるとき(教義的な部分は別にして)、寒い冬の時期にクリスマス・イルミネーションが散りばめられた町の中で、温かい部屋で家族の絆を見つめなおすと言うのは、なかなか良い習慣だと思うのです。

この日ばかりは、いつも酔っ払って帰るお父さんも、寝息を立てる子供の顔を見ながら、そっとプレゼントを枕元に置くサンタ・クロースに変身するわけで、その瞬間に家族と言う不思議な絆を思い返すことが出来るわけですね。
さて、そのサンタクロースの原形といわれる「セント・ニクラウス」は、3世紀頃の今のトルコの司教だったと言われています。
彼は慈悲深い人で、いつも貧しい人たちを、とくに大切に遇していたそうです。
あるとき、彼は貧しい3人の娘が住む家の暖炉に、金貨を投げ込み、娘たちに幸せな結婚をプレゼントした・・これが今のサンタクロースによるクリスマスプレゼントの元になっているようです。

ミニスカートのサンタクロースお姉さんが、商業的な笑顔で微笑んでくれるよりずっと、夢のあるお話ですよね。

byこう@電車おやじ
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by MYP2004 | 2005-12-24 19:13 | 神戸舞子から世間を見ると

危うい橋の上

僕が個人で運営しているホームページですが、これはプロバイダーのサービスの力を借りています。
で、そのプロバイダーのサービスの大きな変更が先方から連絡され、今後は新ソフトによるホームページの構築と更新を求められるようになりました。
ところが、この新ソフトというのがうまく動いてくれず、いくらプロバイダーと連絡を取り合いながら進めても、上手くいかなかったのです。
ところが、数日前、それまで何度やっても出来なかった新ソフトでのホームページ立ち上げ作業が、突然、出来るようになりました。
そこで、とりあえず、新サイト上に一部のページを移設し、公開しました。
一部のコンテンツは、新ソフトに同様のページを作るプログラムがないことから、移設を断念し、そのまま、旧サイト・・として公開を続けることにしました。

個人のホームページですから、この程度のことが出来ればそれで良いのかもしれませんが、プロバイダーの意向一つ、ネット運営会社の思惑一つで大きな変化を求められることもありうるという・・よく考えれば危ない橋の上に、ネット文化と言うものは存在しているわけですね。
インターネット関連企業といえば外資系が多く、そう言った企業の殆どは出先の国内では、その国の政治体制を容認して、それによって認可を得て成り立ってもいるわけで、中国が国家を誹謗するブログを締め出しにかかることをヤフーは承認した上で、国家に協力し、そう言った記事を見つけると報告すると言うことまでしています。
韓国では国内世論に推され、グーグルが日本海の名称を「東海」に変えてしまったということも報じられています。
こうして考えると、ネットが民衆運動の新しい形であると言うのには、まだ無理があるような気がしてしかたがありません。
ネットは、ある面では情報統制が可能で、国家や企業に有益な情報だけを流すようにすることも可能なわけです。
ネット上で自然発生的に立ち上がりつつある社会運動は、いずれ、ネットを飛び越えて、リアルの世界での連携に繋がらないと、その存続すら危うくなって来ることも十分考えられます。

また、ネットはそこに参加する人の悪意善意を峻別することが出来ません。
文字だけのやりとりであり、それはあくまでもバーチャルな存在なわけです。
運動というものはバーチャルでは成り立たず、リアルでの成果が必要になってきます。
ネット上での運動の限界はまさにそこにあるわけで、世論の形成と言ったことを目指す我がMYPもどこかで現実世界へ出なければ運動そのものが成り立たないといった、ジレンマにも陥るわけです。

今、多くの社会運動はヤフーやインフォシークのMLを利用して行なわれていますが、これら企業が突然、情報操作を始めたら・・そう考えると怖くなってきますね。
現実にブログなどでは特定の団体を批判するものは閉鎖するように促されるという現実もあります。
ネット文化は案外、自由闊達なものではなく、統制の仕方によっては非常に危なっかしい橋の上に成り立っているような・・そんな気がするわけですが・・

BYこう@電車おやじ
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by MYP2004 | 2005-12-09 16:04 | 神戸舞子から世間を見ると

怖いマンション、ホテル続きです・・

姉歯建築設計事務所がらみの構造計算書偽装問題はどんどん大きくなっていますね。
これは問題の根っこにあるものは今の日本の風潮・・何でもかんでも無条件に数字を信じる数字信仰ではないかと僕は見てしまいます。
安さ、広さ、便利さを数字で表し、それを無条件に信じることの恐ろしさとでもいえましょうか?
けれども、我々庶民は数字以外に思考する判断材料を持ち合わせていないのもまた事実です。

僕は写真の仕事をしていますが、ちょっと気になっていたのが昨今のマンションなどの構造・・
工事写真で持ち込まれるフィルムやデジタルデータから得られた画像からは、昨今の大型マンションなどが鉄筋コンクリート構造であることが素人の僕にでも理解できます。
阪神淡路大震災からまもなく11年になろうとしていますが、当時、震災の15年ほど前から高層マンションの建築方法としては鉄骨鉄筋コンクリート構造が一般的であったように思いますし、あの大震災で鉄骨作りであったがゆえに全壊を免れた高層建築物もたくさんありました。
(もっとも、地盤を強くすることを怠ったのか、倒壊した建物もありましたが・・)
ここから先は建築業界の方などの詳しい方に説明して頂かなければ、判然としないのですが、いつ頃から鉄骨作りは遠ざけられ、鉄筋コンクリート構造になってきたのでしょう?
(それは思い過ごしかもしれませんが・・)

話が脇へそれましたが、SRCと言われるつくりが阪神淡路大震災に耐えたのなら、それを基本にやっていくべきではなかったのかと・・これもあくまでも素人の考え方ではあります。

しかし、マンションやビジネスホテルの最新のものがコストダウンのために、とんでもない設計になっていたと言うのは悲しい事実でもあるわけです。
日本は戦後、技術立国を目指してきたはずです。
そしてそれは多くの技術者達の不断の努力で、ある程度形にすることが出来ました。
忘れられないのは、今から10年ほど前でしょうか・・韓国で鉄橋やデパートが突然崩壊する事故が相次ぎ、韓国の建築の杜撰さが日本でも報道されていました。
けれども、時代がかわると、その杜撰な建築が日本でも行なわれていた・・
それは法令の網をかいくぐり、裏を書き、嘘を書き込む、あるいは書類を差し替える・・そういう手口で行なわれ、結果として地震はおろか、数年の時間の経過で自然崩壊する建物まであるというのですから、これはずっと以前の韓国を笑えない状況ではないでしょうか?

阪神淡路大震災で僕が目にした光景の中で、印象的な光景・・
それは、神戸市の郊外、田園風景の中の新興住宅街・・一部損壊と言われたマンションや民間建築物の中にあって、唯一全壊していた山陽新幹線の高架橋・・そこからぶら下がった線路・・
震度6といわれた地域での、この惨状に首をかしげたものです。
地震がおきたのは、列車が走っている時間でなかったのは不幸中の幸いではありましたが・・
当時の民間マンション以下の耐震性しか有していなかった国家プロジェクトがあらわになった日とでも言いましょうか・・

当時でも鉄筋コンクリートに海の砂を使ったとか囁かれていたその噂が、嘘でなかったことが確かめられた時でもありました。
図面がきちんとしていても、現場で図面どおりの材料を使い、図面どおりに工事がされているか、出来上がったものを確かめる術も無いのが実情ですね。
建築業界の信用が大きく傷ついた今こそ、業界上げて信用回復に取り組んで欲しいところではあります。

けれども、もしも、次に大きな地震がどこかの都会を襲えばどうなるのでしょう?
新築数年の立派なマンションの崩壊した姿が、あちらこちらに見られるのでしょうか?
どうか、そんな恐ろしいことが起きないように・・願いたいものです。
その建物には人が住んでいるのですから・・
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by MYP2004 | 2005-12-02 16:25 | 神戸舞子から世間を見ると