2006年 03月 19日 ( 1 )

思想の中核と辺縁 ― 共産主義と資本主義

日本語の"共産主義"という言葉はドイツ語の"Kommunism"を訳したものだが、共産主義そのものはもっと古くからある。有名どころとしては、プラトンが実際にシチリア島で実験的に共産主義社会を作ったこともある。キリスト教の新約聖書も金銭交換と個人所得の廃止を説いていたのだから、一種の共産主義思想で、トルストイはキリスト教共産主義の実践を目指していた。

共産主義と唯物論は可分だ。プラトンのイデア論はどちらかといえば非唯物論、キリスト教はどちらかといえば唯物論だから、マルクスの共産主義はキリスト教の方に近い。先の大戦中のドイツや日本の国家社会主義も共産主義の一種で、やはりキリスト教の方に近い。

思想として始まっている、というところが、共産主義諸思想の共通点だ。共産主義は理念先行の考えかただ。

オランダで16世紀頃、事業の遂行者と事業の所有者が分離されたことが、一般に、資本主義の始まりだとされる。

共産主義初期にプラトン、キリスト、トルストイなどの思想の大家が並んでいるのに対し、資本主義初期にはそういう大家がいない。アダム·スミスすら、他国の船の入港制限を唱え、労働価値説の基礎を築いてマルクスにも支持されているのだから、思想としての資本主義の創始者とはいいがたい。

資本主義は思想として始まったのではないため、経験先行の考えかたとなっている。

理念が先行する組織では、理念の現実のギャップを埋めるため、強制的な手段に頼りがちになる。ローマ教皇に異端審問官が必要だったように、レーニンには秘密警察、戦中日本の天皇には特別高等警察が必要だった。

一方、もともとの資本主義にはそのような理念強制機構は存在しない。

自由放任な資本主義は実のところ、短命だった。1929年に自由放任な資本主義は終わった。アメリカでもフランクリン·D·ルーズベルトが全金融機関の国営化という共産主義手法で危機に対処した。自由奔放な資本主義の再提起者として知られているフリードマンすら、"我々は全てケインズ主義者である"といって、ルーズベルトを支えたケインズを讃えている。

1991年にソビエト連邦は崩壊し、冷戦は終わった。資本主義は年金や社会福祉など、共産主義の一部を経験的に取り込み、対立を生き延びた。

資本主義が生き延びた理由は、思想としての資本主義が思想としての共産主義に優れたためではない。重要なのは中核ではなく辺縁であり、理念ではなく経験なのだ。
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by MYP2004 | 2006-03-19 08:44 | 経済の視点から