「亡国のイージス」人気がもたらす亡国

最近、三人の知人から「亡国のイ−ジスを観にいきませんか」と誘われました。いずれも、ていねいにお断りしました。

この映画の予告篇は、もう数ケ月前から映画館で繰り返し観ています。その度に苦笑を禁じ得ませんでした。特に中井貴一が「よく見ろニッポン人、これが戦争だ」と言う場面では、毎回吹き出してしまうのですよ。しかも最後に「協力/防衛庁・海上自衛隊・航空自衛隊」と出る。「ああ、時流?に乗ってつくったんだな。制作費も抑えられるしね」と思うわけです。

一体何なんでしょうね、この「時流」は。自衛隊がブーム? それとも国防ロマンがはやり? 「ローレライ」「戦国自衛隊1549」「亡国のイージス」、さらに「男たちの大和」と続くらしい。いい加減にしてもらいたいものです。

先日は「報道ステーション」に長渕剛が出て、映画セットの前で「男たちの大和」の主題歌を歌ったのですが、

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「ここで感じるのは、郷土や親に対する愛だ」とか何とか、意味不明の事を言っていた。典型的な勘違いです。戦艦「大和」で無惨に散った若者たちは、無謀な戦争に駆り出されただけ。これが歴史の事実であり、愛とは関係ありません。まぁ、長渕剛に言っても仕方ありませんが。

日本は今、集団勘違い症候群にかかっています。まず、体制を担っている人間たちの勘違い。「日本の国際的プレゼンスが薄いのは、つまり大国として今一つパッとしないのは憲法9条のせい」。「武力行使できる普通の国になれば、もっと存在感が高まる」という勘違い。

かくして、政治大国を目指してさんざんお金をばらまき、イラクに莫大なお金をかけて自衛隊を派遣したのに、国連常任安保理事国入りは頓挫。問題は外交力にあることは明白です。

一方、国家体制と自分を一体化し、国家体制と国民社会(同じ地域に住んでいるという仲間意識)とを混同して、韓国や中国を「反日的」として敵視。「外交とは近隣諸国との共存だ」という常識すら見失っている国民。いやはや・・・。もう国に振り回される時代じゃないでしょ。物事は個人レベルで冷静に考えましょう。中国や韓国に対抗意識を燃やすなんて幼稚! もっと大人の余裕を持たなくてはね。

「亡国に至るを知らざれば、すなわち亡国」。これは人権の概念すらなかった富国強兵政策下の明治時代、一身を賭して足尾銅山の環境問題に取り組んだ田中正造の言葉です。その後の日本の近代史は、まさにこの言葉の通りになりました。

政治的経済的にちょっと行き詰まると、すぐに鬱屈して排他的になる。この閉鎖的な国民性が心配です。過去を振り返ってみても、排他的になっていた時には何もいいことはありませんでした。今こそ過去に学びたいものです。

日本は「特別な国」として独自の道を行くのが絶対に有利。これこそ、アジアや世界で存在感を示すために最も効果的で現実的な道です。21世紀の大国はソフトパワーで勝負です。「毅然として」「強硬姿勢を示す」しか能がないなんて、政治家失格です。

日本の平和主義はアジアの共有財産。中国が軍備を増強して覇権主義に走れば走るほど、日本の平和主義が輝きを増すはずです。人と同じ事をしなければ不安になるのを「横並び意識」と言います。それで日本のパワーの源泉を捨てるほど、私たちは愚かではないと信じたいのですが。
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by MYP2004 | 2005-08-13 16:53 | リビングから見た社会
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