盧溝橋で考えた「近代日本の悲劇」

 「城門を出たところにあって、欄干に獅子の像がずっと並んでいる石橋なんだ」。子どもの頃から、繰り返し父親から聞かされてきた盧溝橋は、北京市中心街から車で40分ほどのところにありました。平日の朝ということもあり、人影もまばら。足下から寒さが伝わってきます。橋だから河に架かっているはずですが、ほとんど水はありません(笑)。

 マルコポーロが感嘆したという盧溝橋。父親が言っていた通り、欄干には小さな獅子の像がずっと並んでいます。一つひとつ顔も表情も違うんですよ。それがとても可愛くてユーモラスなので、歩きながら笑っている私たちを、通りすぎる中国の人たちが不思議そうに振り返って見ます。事件から70年目の盧溝橋は、悠然としたたたずまいを見せていました。
 
 北京の歴史的建造物は今、オリンピックに備えて復元の真っ最中。盧溝橋付近も「旅遊区」として再生中です。城門の手前はかなり復元されていて、清朝時代にタイムスリップしたような不思議な気持ちになりました。

 それにしても、日本の自然とはずいぶん違う、茶色っぽい広陵とした風景。中国の大地はどこまでも続いています。徴兵され、海を越えてここまで来た日本軍の兵士たちは、どういう気持ちでこの風景を眺めたのでしょうか。緑したたる故郷の山河を、さぞ恋しく思ったことでしょう。

 国家が戦争を行なうということは、何と野蛮で無惨なことか。それにしても、この広大な中国大陸を支配しようとしたなんて、愚かにも程があります。まさに狂気の沙汰。あの頃の日本は狂っていたんですね。

 さて、近くには中国人民抗日戦争記念館があります。入り口には人民軍の兵士らしき人が立っていて、ちょっと緊張。ちなみに、兵士はどこでも直立不動です。三時間で交代するそうですが、それにしても大変そうです。ガイドさんが言うには地方の若者たちで、最近は成り手が減っているとか。

 その抗日戦争資料館。子どもたちが社会科見学などで訪れるところで、いわゆる反日教育のメッカの一つのように言われています。しかし、見てみた感じでは淡々とした展示です。娘たちは「広島の原爆資料館みたい」と言っていました。
 
 しかも、最後は国交正常化以後の交流について展示されていて、未来志向で締めくくっています。日本人以外の外国人が見ても、違和感がないのではないかと思います。日本人の私たちにもあまり違和感がありませんでした。

 平日の朝ですから、館内には中国の人はちらほらいるだけ。あとは私たちが出て行く時に、卒業旅行らしき日本の若者グループが来たぐらい。しかも彼ら、何としても学生料金で入ろうと、日本の免許証を出したりしていたけど、大丈夫だったのかしら(笑)。

 盧溝橋と抗日戦争記念館は、北京に来た日本人にはぜひ行ってもらいたい場所です。ここに来て、侵略に走った日本近代の悲劇について、思いをめぐらせてもらいたいと思います。日本の軍国主義は、言葉では言い表せない程の惨禍をアジア諸国にもたらしました。しかしそれは、日本にとってもまた大きな悲劇だったと思うのです。

 さらなる悲劇は、今もってその事実を直視しない日本人がいることです。黒船の来襲によって開国を強要された極東の島国が、国民国家形成の過程でなぜアジア侵略に走ったのか。どこをどう間違えたのか。これを冷静に検証することは、何よりも日本人自身のために、避けて通ることのできない作業ではないでしょうか。

 なぜならアジア太平洋戦争は、出征兵士を始めとする多くの日本人に塗炭の苦しみを味あわせたのであり、この総括なくして、虚しく命を散らした犠牲者の霊は浮かばれないからです。「国の為に命を捧げた人のために祈る」という靖国神社参拝の理屈は、大いなる欺瞞です。by G2

☆ 盧溝橋事件 
 中国では七七事変と呼ばれる。1937年(昭和12年)7月7日に、北京郊外の盧溝橋で起きた発砲事件。日中全面戦争の発端となった。
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by MYP2004 | 2006-03-16 12:20 | リビングから見た社会
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