紀子さんと雅子さんとジェンダー

誰もが驚いた三人目の政治的?妊娠で、久し振りに紀子さんが脚光を浴びています。朝日は朝刊の一面に「笑顔やわらか」という言葉を添えて写真を載せていましたが、こうしないと読者のニーズに答えられないんでしょうかね・・・。

それにしても、久々にとっくりと見た紀子さんの表情が、美智子さんにそっくりになっていて驚きました。見事に皇室に適応しましたね。適応できず、そのまんまの適応障害になった雅子さんとは対照的です。

紀子さんは社会に一度も出ることなく、学生のまま結婚して皇室に入りました。男女雇用機会均等法一期生として、総合職女性のシンボル的生き方をしていた雅子さんとの違いはここにあります。20代をどう過ごすかによって、女性が大きく変わるということがよくわかりますね。

古来、女性は環境適応力に優れていると言われてきました。私が学生の頃までは、半ば蔑みのニュアンスを込めて、男達はそう公言していたものです。「だから忍耐強い」とか、「単純労働に向いている」とか。女性自身も、それを美徳のように思っている節がありました。

でも今、雅子さんを見ていてはっきりわかります。社会経験によって培われた強い自我は、性差を緩和させるのです。つまり、男女は共通体験によってかなり近づくということです。性差は無いわけではないけれど、私たちが思い込んでいるほどではないし、増してや脳の構造による絶対的なものでもない。個人差が大きいということです。

ジェンダー・フリーという造語はちょっとイデオロギー的で、セクシュアリティーに対する配慮に欠けていました。その弱点をいま突かれているわけですが、だからといってこれを攻撃して否定するのも、現実から目をそらしているという点では同じでしょう。

性差を異性の前で演出するのは重要なテクニック(笑)。それだけでも、性差が社会的文化的な産物だということがわかります。最近はホモ・セクシュアルや性同一性障害も少しずつ理解されてきて、性差絶対主義は前提が崩れています。

要は性差を大事にして生きたいか、それよりも個人として生きたいかという問題。で、個人として生きたい人を認めるというのが、ジェンダー・フリーの本来の意味なのでしょう。社会学の教科書にも載っている学術用語であるジェンダー問題を追放しようなんて、やはり時代錯誤だと思いますが。 by G2
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by MYP2004 | 2006-02-11 15:03 | リビングから見た社会
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