子どもの安全を守るには

子どもが犠牲にまる痛ましい事件が次々に起こり、報道されて、子を持つ親の心配はつのるばかりです。どうしたら子どもの安全を守ることができるか、学校も自治体も国も途方に暮れています。本当にどうしたらいいのでしょうね・・・。

そういうニュースを見る度に、我が家で話題に出る出来事があるのです。今を去る十数年前、長女が小学校低学年の頃のことです。当時、長女は家から電車に乗って一時間半もかかる学校に通っていました。

まだ携帯電話もなかった頃で、登下校中は子どもが公衆電話からかけてこない限り、全く連絡が取れません。帰り道、疲れた子どもが寝過ごして、終点の東京駅まで行ってしまうこともしばしば。それはもう、色々な事がありましたよ。

で、親は最初でこそ心配するのですが、「送り迎え禁止」という学校の方針もあり、数ヶ月もすると慣れてしまって腹が座ります。「なるようになる」と開き直るというか。今思うと、よく平気でいられたと思うほどですが、通学経路に人通りの多いことが、安心材料になっていたような気がします。

実は私自身が、バスに乗って幼稚園に通っていたという過去があるのです(笑)。幼稚園の送迎バスではありません。普通の路線バスです。間違えて違うバスに乗ってしまい、途中で降りて見知らぬ街をさまよい、交番に駆け込んで泣いたこともありました。しかし、やはり「送り迎え厳禁」というのが、その幼稚園の方針だったのです。

今では考えられませんね。そんな方針を掲げたら、生徒が集まらないでしょう。逆に、安全をキャッチフレーズにする学校が出てきています。校門を出た時間をコンピュータで把握、親に連絡するそうです。不安がいかに教育現場を変えるか、よくわかります。今や、「犯罪」と「ゆとり教育」をいかに避けるかが最大の課題になっています。

さて長女の件ですが、乗り換え駅である中野でトイレに入った時のこと。後から入ってきた男性が目の前に来て、いきなりズボンを下ろしたのですよ。訳がわからないでいる長女。そこに(長女いわく)30代ぐらいの女性が入ってきました。その女性はすぐに異変に気づき、「あなたっ、そこで何してるのよっ!」と怒鳴ると、カバンを振り上げて男性を追い出してくれました。

そして長女にこう言ったそうです。「こういう時、黙っていちゃだめよ。『嫌だ』って言って逃げて、大きな声で助けを求めるのよ。わかった?」。長女は訳がわからないまま、その真剣な様子に押されて「うん」と答えたとのこと。

この時の記憶は、成長するにつれて長女の中で鮮明になっていきました。あの時に自分の身に起こったことの意味が、後になるほどよくわかってきて、「本当に危なかった」と繰り返し言っています。「あの時に女性が助けてくれなかったら、あの出来事はトラウマになって残っただろう」と。どこのどなたかわかりませんが、本当に感謝しています(涙)。

成人した長女は、子どもが犠牲になった事件が起こる度にあの事を思い出し、自分にこう問いかけるのだそうです。「ああいう場に出くわした時、私はあの女性のような適切な行動が取れるだろうか」。そして「いや、ああいう行動が取れるように、日頃から心がけなければならない」と誓うとか。

実際、私たちは子どもに限らず、危機的な状況に対してとっさに行動できなくなっています。電車の中での喧嘩、駅のホームでの殴り合い、路上での集団暴行。それらを遠巻きに見ている人の、何と多いことか。どうしてこんなに体が動かないのでしょう。監視カメラの性能がいくら向上しても、人間の代わりにはなりません。

異変に対応できる感受性と行動こそ、犯罪防止の最大の力です。テロ対策も同じです。テクノロジーや監視システムは、しょせん次善の手段ですから。過剰な期待は禁物です。難しい課題ですが、犯罪を生まない社会へ、ここは人間力の開発を考えようではありませんか。 
                            by G2
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by MYP2004 | 2005-12-05 22:29 | リビングから見た社会
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