最近、巷に奇怪なワンレーズ(句)があふれています。
「愛する者を守るために戦う」というのがそれです。 そもそもワンフレーズというものは、内容がどうであれ怪しいものです。 現実は決して、ワンフレーズなどでは語れないものですからね。 ワンフレーズにまとめたとたん、現実はありのままには見えなくなってしまいます。 一つの句だけで現実を解釈しようとするのは大変に危険です。 最近の顕著な例では、「テロに屈しない」というものがあります。 NYで同時多発テロが起きて4ヶ月後、2002年1月の一般教書演説で、 ブッシュ大頭領はこう言いました。 「世界はテロリストの側につくか我々の側につくか、二つに一つだ」。 おお、何と狡猾なのでしょう。 多様な選択肢を無視し、強引な二元論を持ち込むことによって対話の道を閉ざし、 議論も疑問も封じ込めてしまったのです。 そして、少なからぬ人々が二元論の罠にはまっていきました。 「テロに屈しない」というワンフレーズは、この強引な二元論を背景にしています。 その結果、世界は大混乱に陥りました。 にも関わらず、このワンフレーズを掲げる人たちはそれに気づいていないようです。 正確に言えば、現実認識が狂っているのです。 ワンフレーズは、複雑な現実を乱暴に単純化し、 見たくないものは見えないようにする仕掛け。 「現実がよくわからない」「難しいことは考えたくない」「誰かに考えてもらいたい」というニーズを満たしてくれるので、時代を超えて、いつも人気があります。 今の日本で言うと、「痛みなくして改革なし」「郵政民営化は改革の本丸」な〜んていうのもそうですね。 さて、「愛する者を守るために戦う」。 もともと、自己の存在に意味付けが必要な男性は、このフレーズが好きだし、 そういう男性に守ってもらうことが幸せだと信じて疑わない女性もいるわけで、 このフレーズには双方の思い込みや願望、妄想が渦巻いています。 だから、家や車のCMには付きものなのでしょう。 そのレベルならまぁ御愛嬌とも言えるのですが、 これが戦争映画や戦争そのものに使われるようになると、要注意です。 よく考えてみてください。 論理的におかしいじゃないですか。 愛する者を守りたかったら、戦争など起こさないように努力するのが一番でしょう? 戦争になったら、死んで家族を悲しませ、守る事もできなくなるかもしれません。 自分がいない間に家族が死ぬかもしれません。 そして悲しみはずっと続き、癒される事はありません。 下手をすると、憎しみの連鎖を生みます。 御巣鷹山の日航機事故で愛する人を無くした遺族の方々は、 20年後の今も、癒えない傷を抱いて生きています。 事故で亡くしてもこうなのですですから。 戦争で亡くしたらどういう気持ちになるでしょう。 戦争をして家族を守るなんて、しょせん無理なんですよ。 それに、相手にも愛する家族がいるのです。 私たちと同じように遊園地に行ったり、給料が出たら喜んだり、 お誕生日を祝ったり、子供が生まれて感動したりしている家族が。 そういう現実を見えないようにする仕掛けが、このワンフレーズです。 体制の担い手は、時に狂う事があります。 戦争はその最たるもの。 国民を犠牲にして力を誇示するだけです。 そもそも戦争をしようと考える時点で、国民のことなんか考えていませんから。 間違っても、そういう政治家を「頼もしい」「毅然としている」などと勘違いし、 利用されたりしないように気をつけましょう。 「愛する者を守るために戦え」というのは騙し文句ですからね。 また私たち市民も、勘違いヒロイズムの罠にはまらないようにしたいものです。 そのためにも、「戦って何かを守らなくては存在意義を実感できない」という、 伝統的な男らしさがはらむ矛盾を解明しましょう。 by G2
by MYP2004
| 2005-08-21 14:12
| リビングから見た社会
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