三浦展著「下流社会」(光文社新書)が売れているらしい。「下流」という言葉は、今や流行語になっています。この本自体はまぁ、軽〜い内容。タイトルのインパクトが全てと言ってもいいのではないでしょうか。
なるほど「下流」ねぇ・・・。「上流」があるのだから「下流」があってもおかしくありませんが、それにしてもうまいタイトルを付けたものです。さすが、バブル期のマ−ケティングをリードした元「アクロス」編集長だけのことはある。帯に書かれている「いつかはクラウンから、毎日100円ショップの時代へ」というキャッチフレーズも憎い(笑)。 で、下流とは「ただ収入が少ないだけではなくて、何事にも意欲が低い」のが特徴だとか。この「意欲の低さ」をめぐって今、議論百出なのです。ここから、「今の若者は意欲が低い」「もっと競争心を持たないとダメだ」という主張が出てくるわけです。 で、私がこだわるのもここ。どうして意欲が持てない若者が出てきたのか。様々な理由があるわけですが、見落としてならないのは、著者を始め多くの論者が比較の基準にする高度成長期は、特別に皆が意欲を持てた時代だったということです。 あの時代は本当に特別だったのですよ。その社会が数百年に一度ぐらいしか経験しない、特別な発展期。小学校しか出ていない人が総理大臣になれたぐらい、社会の流動性も高かった。学歴社会のように見えて、実は抜け道がたくさんあり、はみ出し者にも居場所がありました。 でも今は、政治家の家に生まれるか、アメリカに行ってMBAを取ってビジネス・エリートにならなければ、難しいでしょう? だから、「昔は」と言って、あの時代を基準にしてはいけないと思うのです。 頑張れば誰でも豊かになれて、みんな結婚できた。そういう時期は歴史を見ても稀です。私は運良く、経済成長の恩恵を受ける事ができました。でも永山則夫のように、豊かになっていく社会から取り残されて、自暴自棄になって連続殺人犯になった人間もいたのです。あの時代でも。 そして今、高度成長の果実が消え階層分化していく現実の中で、夢を持ち続けて向上していくには相当な精神力と能力を必要とします。24時間以内に発送するため、注文された本をアマゾンの倉庫でひたすら探し続けるフリーターに、六本木ヒルズ入りを目指して頑張れと言えるでしょうか。 気持ちだけで現実を切り開ける社会ではなくなっているのです。生き方や価値観は、つまり意識は多様化しているのですが、それを生かす仕組みにはなっていません。逆にどんどん閉じていて、実際の選択肢は狭くなっています。しかも、早い段階でその壁に突き当たります。これは、20才前後の若者たちに接している私の実感でもあります。 こういう事態を招いた原因の一つは、能力を細かく査定するシステムの整備にあります。「チャンスは平等に与えられている。成功したのは努力したからだ」という言論の勘違いは、能力差をはっきりさせることがモチベーションを上げるという思い違いから来ています。 点数を入力すれば、たちどころに小数点第二位まで偏差値が出て、受験可能な学校が明示される。そこで自分の未来は見えてしまいます。そもそも夢を持てる社会というのは、自分のポジションがもっと曖昧なんですよ。曖昧にしておく良さというのがあるのです。 なぜなら、ほとんどの人はそんなに高い能力を持っていないからです。能力の厳密な評価よりも期待や激励の方が、はるかにモチベーションを高めると思いませんか。よく政治家が「競い合う気持ちが欠けている」などと言いますが、見当はずれもいいところです。 私は大学院に進学する時、奨学金の申請をしました。幸い給付が決まって通知が来て、そこにこう書いてあったのです。「あなたを社会に有為な人材と認める」。それは全員に伝えられる形式的な文言に過ぎなかったのですが、あの時の感動を、私は今も忘れることができません。 by G2
by MYP2004
| 2005-12-19 21:47
| リビングから見た社会
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